僕にとって書くことが無いという事=メンタル安定。

自分は自分の内面を見つめるおよび、吐露する為に、noteを始めた。
というのも、自分の頭の中には常に思考の弾丸が飛び交い、戦場と化しているからだ。
こうなると、その戦争を鎮静化する為に、ある程度鬱憤を晴らさなければならない。
noteの効用もあってか、今日は書きたい事がない。
普通noteをやってる人であれば書く事がないというのは、嘆かわしい事かもしれないが、僕からすると書く事がないというのは、ある程度戦場が鎮静化し、
メンタルが安定している証拠なのかもれない。
誰かに読んでもらう為にというよりも、
自分のメンタルを安定させる為に書いているので、書いていないという事はいい事なのだ。
一昨日なんかは酷くて一日に五本くらい書ける勢いだった。
僕の記事の本数=不満指数と捉えても差し支えない。
まあ週末も相待って、疲れているというのもあるのかもしれない。
どちらにせよ今の所ネタになるようなことは思いつかない。
なのでネタがないという事はどういうことかという事をネタにした。
なんなら最大級の理想はnoteをやめる事なのかもしれない。
そうなった場合、ブッダやキリストのような悟りの境地に至ったという事であるから、当面はないかもしれないが。
ネガティブな事を吐き出す事で、自分の集中すべき事に集中する。
そのためのアプローチとしてはある程度妥当なのかもしれない。

ある程度妥当なのかもしれない。

詩人や小説家は、自分の鬱憤や思いを作品に昇華させるが、僕にはそれを楽しんだりする素養も情熱もない。
あまり書くという事に興味が持てないのだ。
ただ書き殴るだけ、そこには美学も拘りもない。そう考えると、書いてるという事は治療しているに近い。
僕にとっての生理学的療法(そんな言葉があるのかも知らない)はおそらく書き散らす事なのだろう。
書くことがないというこを書いてみた。

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