生と死〜対立を乗り越えて〜
5月20日を持ちまして26歳になりました、ザッキーです。
はい。もう立派なアラサーの仲間入りですね。
誕生日アピールが見事甲斐をなし、会社ではケーキを頂きました!!
わーい!!
でもこれは、わたしの名前ではありません。
常務の方が名前を勘違いしていたようでミスプリント。
これも一興です。笑
せれーのさんにはLINEギフトでプレゼントを頂きました。
このご時世だからなのか、今年はギフトで貰うことが多かったです。
(嬉しい)
こんなアピール全開の私ですが
昔は正反対の性格でした。
死とのご対面
元々内気な性格なのもあり、自分から発信することは苦手でした。
人に自分をさらけ出すのが恥ずかしい。
「なにアピールしてるの?」と言われるのが恥ずかしい。
そう思っていました。
さらに私の性格を作った幼少期の構築材料として、
小学5年生から中学3年生まで大切な人が必ず一人死ぬという事件でした。
もう、ホラー映画ですね。
ホントに時期が重なっただけとは思うのですが、昔はなんかの呪いだと思いました。
特に同い年の親友やハトコが死んでからは、
『人が死んでいるのに自分をさらけ出すはおかしい!』
『人は唐突に死ぬのだから、自分を知ってもらっても意味がない』
と思っておりました。
(昔は哲学者並みに生死について考えていた)
そんな私が変わるきっかけになったのが自分で犯した自殺未遂です。
昔はかなり神経質な性格であり、また家庭問題や学校問題(部活)など
まるでアニメの住民のようではないかというくらい、ある意味高校生活を桜花していました。過程から未遂の経緯は省きますが、人って中々死ねないのだとわかりました。
いざとなると、まあ怖い。
人は欲の塊なので「どこかで生きたい」と思っていて、必死に自分と抗います。皮肉なことに、人に傷つけられ死にそうになっても、助けてくれるのもまた人でした。
生きていて
そこから私は「人」とは。
と考えるようになりました。
小学生の時に「人」という漢字を習いました。
昔はわかったようでわかっていなく
ホントに人と人が支え合って生きているんだな、と学んだのが高校一年生。
学んで実感するのに10年かかるのだとわかった訳です。
人の温かさや冷たさもまだ全然知れていないのだと。
そう、考えると私はまだ学んでいないことが多く、実感できていないことも多くあると思いました。
なので、死ぬのは勿体ないという結論に至るわけです。
そして、もう一つ影響されたのが
もののけ姫ジブリの名作の中でも特に話が難しいと言われている作品です。
もののけ姫は、よく自然破壊やアイヌの歴史などと思われがちですが、実は生と死をテーマにしている作品です。
『世の中に溢れる“対立”』
戦争や会社などの対立から人はどう生き延びていくのか。を宮崎駿監督がテーマにしていました。
当時、高校生だった私にはもの凄い威力あるテーマでした。
対立は、自然に生まれます。
対立は、違いから生まれます。
対立は、互いが持っている情報の違いから、生まれます。
そうであるからこそ、
対立を解消するためには、
互いの足りていない情報を互いに埋め合わせる事です。
他人を否定せず、持っていないものをお互いに用いることが人間にとって一番大切なことなのではないかと思っています。
現在
社会に出てからも色んな人に会ってきましたが
SWINGMANの社員は思いやりのあるであり、人との繋がりを大切にしている人が多いと思いました。
例えば、せれーのさんは趣味の合唱でコミティを大切にしていたり、ちゃこさんは今でも前職の方と仲良く繋がりを持っていたり。
社長は居酒屋の亭主とめちゃくちゃ仲良かったり…笑
人それぞれではありますが
誰かを思い、考え、尊重してくれる方が多いなと私は思いました。
学生の頃は、空間や時間が縛られて、必然的に喧嘩や仲直りをしてできる友達も、社会に出ればなかなか難しくなります。
喧嘩してしまえば、仲直りしようと努力することが学生の頃と比べて諦めてしまう事の方が多くありませんか?
社会に出てからの方が人間関係を続けていくのは大変です。
それをどう上手くコミュニケーションを取るかと考えた時
私は自分自身を隠さないことだと思いました。
自分をだして、足りない点を周りに補ってもらい、助けてもらうことが大切です。
例えば、今回の誕生日で私がアピール女であったのも
誕生日は1年間あるどんな祝日よりも
自分だけの大切な祝日だと思っているからです。
たとえ「ありがとう」の言葉が他人行儀なやりとりだったとしても
この言葉は感謝の言葉であり、秘鑰すれば「生きててくれてありがとう。」
という意味です。
嫌いな自分でも好きな自分でも、自分を一番褒めてあげて
また頑張ろう!と思える日なのではないでしょうか。
今日も自分を愛して
周りの人に感謝と愛を捧げていきましょう!
それでわ!