なりたい自分を考えたら、今までより少し人生が楽になった話
将来、どうなりたいの?
ある時、そう問いかけられました。
”どうなりたい”ってなんだろう。
私は即答することができませんでした。
28歳になる今年。
自分のまわりを見ると、結婚して2児の母になった友人、なりたい職種に向かってアシスタントから奮闘を続ける友人、マイホームを購入した友人、視野を広げるためにワーホリに出た友人、それぞれの形でなりたい、ありたい未来を歩んでいる人も多くいます。
私は将来どうなりたいんだろう。
どうありたいんだろう。
今回は、いままでなんとなくぼんやりと思っていたなりたい自分を、ぎこちなくでも言葉にできるように考えてみた結果、人生の見え方が少し変わった私の話を書いてみたいと思います。
将来に悩む同年代の方に、そんな考え方もあるんだーとちょっとした参考になったら嬉しいです。
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未来を考えるにあたって、人生の終わりを想像してみました(極端)。
できれば不慮などではなく終わりを迎えたいという前提ですが、終わりを迎える時、どうなっていたら満足して人生を終えられるだろう。
しかし、明確な姿はすぐには浮かんできませんでした。
さらにこの問いと向き合ううえで、友人たちともいろいろと語り合い、そのなかで、自分には明確に”○○になりたい”という対象があまりないことに気が付きました。
例えば、”社会に名を残すプログラマーになりたい”、”建築家になりたい”、”社長になりたい”etc.
このことを建築家を目指す友人に話すと、
なりたいものがないのにどういう気持ちで人生のために勉強したり吸収したりするの?
と言われました。
その時に考えいたったのが、”誰かの役に立つ自分でありたいから”そして”好奇心”というこたえでした。
自分がなりたい何かはない。
でも、自分が役に立ちたいと思った誰かに喜んでもらえる自分になりたい。
だからこそ、役に立ちたいと思ったときに役に立てるように、知らないことや自分にない感性、考えは何でも知ってみたいし、体験してみたい。
そんな好奇心があるのだと思いました。
さらに、私はとても凡庸な人間だと自負をしていますが、だからこそ、凡庸な自分に対しても好奇心があります。
こんな凡庸な自分は、どこまで成長できるのだろう?変われるのだろう?
そうやって自分に問いかけ続けて、吸収し続けているうちは、いつまでも成長し続けられるのではないか。
そして、成長し続けることができたら、誰かの役に立つことも多くなるのではないか。そんな風に思いました。
だからきっと、わたしはどこまでいっても満足しきって人生を終えることはないような気がしました(笑)
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友人たちとの会話をとおして、私がたどり着いたいまの私のなりたい自分。
それは、
”誰かの役に立つ自分”
そして
”いつまでも成長し続ける自分”
でした。
抽象度は高いのかもしれません。
それでも、なりたい自分を言語化したことで、今まで以上に日々の自分が出会う出来事、経験する仕事、繋がる人がますます未来につながってみえるようになりました。
そして、未来につながって感じられるようになり、吸収したいことが増えたからこそ、一方で気持ちを整理することもできるようになってきました。
たとえば嫌な出来事があったとき。
嫌なこととともきちんと向き合って解決できるのがベストなのかもしれません。
でもそのことに心が縛られて、視野を狭くしたり、吸収できる自分が小さくしているのだとしたら、限りある人生の時間がもったいない!
そんな風にも捉えられるようになり、考え込みすぎず、マイナスなことがあってもプラスの要素にも目を向けられる心の持ち方をするようになりました。
そのことで、前よりも少しだけ人生を気”楽”に、”楽”しく生活できています。
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今回は頭の整理もあって、自分語りになってしまいました。
皆さんは”なりたい自分”について考えたことはありますか?
意外と”なりたい自分”を言語化してまで考えたことがないという方もいるのではないでしょうか?
わたしのなりたい自分がどうかはさておき、言語化して考えるというのが自分を見つめるうえでとても重要なことだな感じました。
なかなか人生うまくいかない、どうしたらいいか分からないと悩まれている方は、ぜひ一度”なりたい自分”を言葉にしてみてはいかがでしょうか?
では。