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かつて大切だった人たち

秋の夜長である。

もともと夜更かしが好きで、昼夜逆転しやすく、怠惰になりがちな私は夜が長いこの季節はとてもあっているのだ。

だからいろいろ考える。思い出す。

かつて大切だったひとたちについて。

私は現役のときにある、都内の総合大学の芸術学部を受けて受かり、一年はそこで勉強した。主にデザインの勉強をしていた。

もともと絵を描いたりなにかを作ることが好きだったし、

自分が将来、スーツを着てオフィス街に出勤するような社会人になることは全く想像できず、なにかしら「クリエイティブなこと」をするのだろうと勝手に思っていたからだ。

実際にそこで勉強して、退屈だと思ったことは一度もなかった。

機械が苦手な私にとって、フォトショやイラレは難しかったけれど、とても楽しかったし、なにより教授に好かれていた。

私がなぜそこをやめてしまったかは、また別に話をするとして

私はその大学で素敵な友人もできた。

もうみんな社会人一年目だ。

ひとりは、今はアパレル関係の仕事をしている。もともと洋服が好きで、学生時代からいつもお洒落だった。細かいところまで素敵で、いつもその子の洋服を見るのが楽しみだった。

もう一人はイラストレーターになった。絵を描くのが大好きで、授業中も、電車の中でもどこででもしょっちゅう落書きをしていた。さらっと描く絵がとても素敵だった。

そしてもうひとりはシンガーソングライターになった。ドラムやギターが得意で、私がその大学にいたころは楽器を弾いているだけのことが多かったが、いつの間にか作詞や作曲もはじめて、気が付いたら素敵なMVまで制作していた。繊細なのに強く響く声がとても好きだ。

彼女たちは、自分の好きなことを続けた結果

今、とても素敵なことをしているなあと感じる。

私がその大学に通っていて、彼女たちと頻繁に会っていたころも

私は彼女たちにとても憧れていた。

自分にしかないものを持ち、しかもそれを続けられるというのは、才能だ、と思う。

じつはもう一人、私の知らない間に成長した

私のかつて大切だったひとがいる。

私がかつて好きだったひとだ。

彼は年下だけれど、私より学年は一つ上だ。

今大学3年生。会わなくなって、もう2年以上になろうとしている。

彼は大学で演劇を始めた。

いつも大学の隅にある小さなアトリエにいた。

といっても私はそのころ浪人していたので、毎日アトリエに通う彼の話を聞くだけだったけれど。

彼の芝居は、上手だったと思う。

私は、セリフを言うような芝居をしたことがないから、詳しいことはわからないけれど、でも上手だったと思う。

普段は、あまり大きくない、柔らかい声をしている彼は、芝居になると太く大きく、とても響く声になった。もう二年も前の新人公演の話だから、記憶は曖昧だけれど。

彼と会わなくなって、長い時間が経った。

私はいまだに、彼に執着しているのだと思う。

いつものようにツイッターを眺めていたら、彼の所属する劇団が

演劇をオンライン配信するということを知った。

オンラインなら、私が見ているのはわからない。全部見なくていいから、少しでいいから見たい。という気持ちになった。

正直、自分にはあきれる。

しかし私はそれを見ることにした。最後まで見ることはできなかったけれど。

劇団に入って3年目の彼の芝居は

素人の私でもわかるくらいにうまくなっていた。

セリフをただ言うだけじゃない。ひとつひとつが胸に響くように、なにを伝えたいのかがわかるように、セリフを言うようになっていた。

知らない間に、彼も成長していたんだ。

1年目の訓練期間、きつく厳しい練習やトレーニングの日々

(私は浪人2年目で苦戦していたのだが)

「僕も絶対に演劇やめないから、お互い頑張ろう」と言ってくれた。

私の、かつて大切だったひとたちは

大きく成長している。

好きなことを続けている。しかし好きなことでも、続けることは簡単じゃない。好きだからこそ、嫌いになりたくなくて、無理に続けないという選択肢だってあるのだ。

でも、彼女たちは、彼は、素敵に成長している。

大学2年生の秋を生きる私は、就職のことや、それ以外の未来について考えることも増えた。

彼らを見て、焦ったりすることは全くない。

しかし、私にはこれから何ができるのだろう。

私は何を持っているのだろう、と考えたりはする。

一方的に、彼女たちや彼を見て、尊敬しているけれど。

私もやはり、なにかを持って生きたいと思う。

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