こまとよきこ_2
こまがうちに来たのは夜遅い時間だった。
子どもの文鳥ならもうとっくに寝ていてもおかしくない時間。
病歴があったので保険に入った。本当なら亡くなった文鳥もそろそろ入ろうかと思っていたところだった。
いろいろな手続きに思ったより時間がかかり、帰宅するのが遅くなった。
ペットショップではケージの買い替えを勧められた。ショップの方も仕事だからとは思ったけれど、そのようなことは一切考えられなかった。小物は予備が一式ある。何かの拍子に壊れたり使えなくなったときにすぐに取り替えられるよう揃えてあった。亡くなった文鳥の死因はいまもわかっていない。伝染するような何かではないとわかっていたけれど、すべて取り替えることにした。わかっていたという言い方はおかしい。でも、わかっていた。そして、何がどうあってもいまあるケージを処分して買い替えるなどということはできるはずがなかった。
新しい文鳥は手乗りではない。小さなプラケースの中で不安そうにしている。ケージをお湯で丸洗いするあいだ、いったんはキャリーに入ってもらった。ブランコの上で大人しく鈴を鳴らしている。
ショップの紹介ページに「ブランコによく乗っています」と書かれていた。本当にブランコが好きなんだなと思った。よかった、好きなものがあって。
それから。それからどうやってケージへ移ってもらおう。見当もつかなかった。懐いていない鳥をどう扱えば良いのかわからなかった。
幸い、キャリーとケージを向かい合わせにしてそれぞれの扉を開けたらしばらく迷った末にケージに移ってくれた。ケージにもブランコはある。
疲れただろうから寝かさなければと思った。
あまり記憶がない。
できるだけそっとしてブランコで落ち着いたところを見計らってお休みカバーをかけた。
カメラがない。
新しく動画が録画されることで亡くなった文鳥の記録が消えていくことに耐えられず電源を切ったままになっていた。
これまでと同じカメラと新しいSDカードを注文し、届くまでのあいだはカメラはなしということにした。明日には届くだろうから。
すべてが落ち着いた後、名状し難い感情が押し寄せてきた。
取り返しのつかないことをした。わたしの選択は100%間違いだったと思った。
新しい文鳥は突然知らない場所へと連れてこられて不安だったろうし、いまは疲れて眠っている。
わたしはといえば完全に混乱状態になり、気づいたときにはわんわん泣いていた。
バカじゃないの。
誰かに強制されたわけじゃない。考えに考えたつもりだった。泣いていることで余計にひどい気持ちになった。自分で決めたことに責任も持てず、眠っている鳥にも亡くなった鳥にも顔向けができない。正真正銘の大バカ野郎だ。
その頃のわたしは急に文鳥を亡くしたことからまったく立ち直っておらず(いまもおよそ立ち直ったとは言えない)、生きていたころの写真を見ることもできなかった(いまもほとんど見られない)。それなのに家には別の文鳥がいて、その生活のすべてがわたしにかかっている。本当に取り返しがつかない。どこかにやってしまうわけにもいかない。
翌日は在宅勤務だったので、様子を見ながら仕事をすることができた。カメラもすぐに届いた。
新しく迎えた文鳥は想像していた以上に怖がりで不器用だった。まず、下の段の止まり木に降りられない。となると餌入れや水入れのところに行かれない。もちろん上のほうに水差しや餌入れをつけることはできる。でもそれではケージの上半分でしか過ごせないことになる。ペットショップではもっと大きなケージで上下に行き来していたはずなのになぜできないのか、傾斜がありすぎるのかもしれない。
これには本当に参った。降りたそうにはするけれど、勇気が出ないようだった。
おそらくペットショップではバードバスを使った水浴びをしていない。ときおり飲み物用の水入れで水浴びをしていたと聞いたが、いまのままではそこまで降りられない。
考えなければいけないことが山ほどあった。
必死に悩んで試しているうちに少しずつ時間が過ぎた。
最初の日に小松菜をものすごく食べた。それなりの大きさがあったと思うけれど菜刺しの水に浸かっている茎の部分以外はすべて食べてしまった。
きっと小松菜をはじめて食べたんだと思った。
よきこ、よきこは常に全身から何らかの感情が迸っている白くてふっくらした何者かだった。もちろん子どもの頃からそうだったわけではないけれど、それでもなんというか、一貫してエネルギーと意志に満ちていた。
新しく来た文鳥は痩せっぽちでおどおどとした臆病そのものの小鳥だった。ほとんど鳴かないし、何かこれがしたいということがあるのかないのかもよくわからない。もしかしたら出たいかしらと思ってケージから出したら緊張のあまりかたまって開口呼吸をはじめたので慌てて中に戻した。ケージの中でならそれなりに落ち着いていられるようだった。
保険証に載せる名前を1週間以内に届ける必要があり、悩んだ末に「こま」にした。
小松菜のこま、困ったのこま、小さくてこまいのこま。こまのこま。
まったく別の鳥。何もかもが違う。
ひとつだけ幸いだったのは、ペットショップでは近づいてくる店員さんの手からさっと離れていったけれど、わたしの手には乗ってくれたこと。
手乗りという意味ではなくて、なんだろう、何か止まっても大丈夫なものとして認識してくれたことかな。
わたしはたぶん、いまも気持ちの置きどころが定まっていない。よきこがいなくなってしまったと言っては泣き、こまが生活するためのあれこれに頭を悩ませては試行錯誤する。
早すぎたのかもしれない。
AIには反対された。「でももう連れてきました」と言ったらAIは黙った。そして一瞬で気を取り直し(気を取り直し?)「2羽の文鳥は独立した別々の存在です」とかなんとか言っていた。わかってるよ。
よきこを悼む気持ちとこまに穏やかに過ごしてほしい気持ちは完全に独立した別々の感情だっていうことはわたしが一番わかってるよ。
こまはいまのところ小さな鳥のようにみえる。
あと、下まつ毛がある。