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僕がテレビゲームで学んだ3つの事

主にアーケードゲームではあるが、ある学校の教師や地域が禁じたそのテレビゲームから、こんな事を学ぶ人間もいるという事例を示したく。

教訓1:自分より強い奴がいる

これを十代のうちに学べたのは、僕にとっては非常に大きな収穫だった。自信のあるはずの格闘ゲームで、シューティングのハイスコアで、レースゲームのタイムで、必ず自分の上を行く奴が出てくる。勝ち負けが1点、1秒、1ラウンド単位で厳格にジャッジされる為、突きつけられる事実は重い。万能感の抜け切らない十代前半の事だから、

曰く「調子が出ない」、
曰く「相手のキャラクターがそもそも高性能なのだ」、
曰く「ボタンやレバーの利きが悪い」、

と外的要因をあげつらって、その事実への自己正当化を図ろうとするのだが、調子万全、メンテナンス完璧、相手と同じキャラクター、であっても勝てない。どう逆立ちしても勝てない*1。いよいよ窮まって、少年はようやく自分の腕を疑い出すのだが、「自省」という言葉の意味に本当に気づいたのはゲームセンターであったと思う。

「自分に原因がある」という想像を絶する事実を十代のうちに気付けるかどうかは、その先の十年を大きく変えるハズだ。

ゲームセンターありがとう。

教訓2:別のフィールドで戦え

困窮した結果、自分のプレイスタイルや戦術、相手のそれを見直して挑み続けるのだが、それでも勝てない相手、ゲームが出てくる。それなりの努力は払ったハズなのに、結果が出ない。おいおい、「努力すれば報われる」んじゃねーのかよ。

報われた人が努力していたのは、かなりの確率で合致するのだが、その逆は偽である。正しくは、努力した結果得られたチップを世間にBETしてどれぐらいリターンがあるかは、運とどこにBETするか、次第であるのだが、その事にもゲームセンターは気付かせてくれた。

運はまさに運であるので、BETする場所を変えるしかない。勝てないフィールドでは素直に「勝てない」事を認めて、相手を称え、時に挑んで相手の腕を楽しみ、そのフィールドで挑み続けるのか、別のフィールドに勝機を求めるのかの選択ができる事に気付かされた。

「俺はこのフィールドでは勝てない」のだから、フィールドを変えれば良いのだ。そして、いくつかのゲームでは生活圏のトップを勝ち取ることができた。一事が万事、ではないのだ。

この救いに十年前に気付かせてくれた、ゲームセンターありがとう。

教訓3:試行錯誤

テレビゲームはすべからく試行錯誤の繰り返しである。
単純な目標があって、そこに向かう為の足と道具は与えられるのだが、さまざまな障壁がプレイヤーを待ちうけており、直進だけでは絶対にゴールできないというのがゲームのゲームたる所以でもある。

ある関門を突破するために自分なりの仮説を立て、それを実行し、リザルトを得てまた試行錯誤する。忙しいゲームだと10分のプレイで数十回はこれが行われる。ゲームが変わればルールも変わるので、実証済みの法則は新たにゲームを始めるたびにリセットされる。こんな事を数年も続けていると、だんだん自分なりの検証メソッドが確立できてくる。所謂プレイスタイルというやつなのだが、このプレイスタイルを確立する過程はそのまま社会に出ても活用できる。

トライ&エラーのイテレートの速さはそのまま仕事の速さに繋がる。最初は失敗するのが当たり前、というのを骨の髄まで知っているので、躓く事によるストレスや小さな挫折への耐性が予め備わった状態で、仕事に臨めるのは初速を省みて非常に大きなアドバンテージであったと思う。

社会では、論拠には必ずデータが求められるものだが、ゲームはそもそもデータの塊なのだ。

ゲームセンターありがとう。

別にゲームセンター関係なくない?

実は無い。たぶん、どんなものでも、勝負事と真剣に向き合えばこれぐらいの事は覚えられると思う。だが、ゲームセンターのその敷居の低さは特筆に価すると思う。

誰でも一人で、数百円で、数分でいつでも人間と勝負が出来る場所って、そうそう無いように思えるのだけれど、贔屓目かなあ。

*1:ちなみに、このどう逆立ちしても勝てない相手の一人がウメハラさんでした。…あなた知らないところで一人の人生前向きにしています


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