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なぜ出雲か
日本海沿岸を南下したクナ族🟰イズモ族は、現島根県出雲に到着。
雪深い出雲(当時もだろうか?)。
なぜ、熱帯地方から来たクナ族が雪深い出雲を選んだか?
製鉄の技術を持ったクナ族。
出雲には「黒い川があった」からだと、旧家の伝承で伝えられているそう。
現在の斐伊川。川の底や河原には砂鉄が溜まって黒く見えたそうだ。
出雲空港に、着陸する時見ることが出来ます。
何となく黒っぽく見えるけれど、そう思って見えると見える!
製鉄技法の云々はもっと素晴らしいブログで紹介しているので割愛。
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製鉄技術と云っても、戦いが嫌で温暖で穏やかな人々が住んでいる島と聞いて民族移動する程なので武器ではなくウメガイを作ったていたそうだ。
でも、その後は銅剣なども作っている。
定着した理由のもう一つがこの地は良港であったことも考えられるそう。
ブリヤート人と交易していた程、この出雲でも港を使い他国と交易したのが想像出来る。
特に鉄が好まれたそう。
数年前、テレビで茨城で若い刀工(トウコウ)の方が、刀のタネは奥出雲町の物で無ければ作れない的な事を仰っていた。
今でもそうなのか…と。
時を経て、クナ族は出雲の地を交易のみなかず互いの交流の場となっていった。
その土地々で別れたクナ族も、大きな集団になりクナト王の決めた土地に参ることだっておかしくない。
なぜイズモと云う名がついたか?
出雲国は、クナ族が住んでいた熱帯のインドでは常緑樹が生い茂っていたが、移住先は雪深く、春に出てくる新芽の緑色が目にしみて美しく感じられ、クナ族はその色を愛で、自分たち住む地方を【出芽イヅメの国】と呼んだそうだ。
まてよ?
それは、日本海側を通っていたらどこでも春には感じたのではないか?特に北海道は特に美しい!と、突っ込んでみても答えてはくれない。
【出芽】には、日本の文化がここから生まれ出たと云う意味もあるらしい。
そろそろクナ族ではなく、イズモ族と変えます。
交流の場となった出雲。
イズモ族の王は現在の神魂神社の地に王宮をつくった。
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参拝も、歴史を知ってから参拝するのでは全く景色が違って見える。
国津神·天津神というのはいつからの造語だろう。
末裔の方が憤慨している文章を見た。
真の和国の王家からしてみたら侮辱でしょうよ。