両墓制
王家は両墓制で、埋め墓と拝み墓がある。
最近知ったのですが、この両墓制は地域により結構な数が残っていてそんなに珍しいものでもないらしい。
参り墓と云うらしい。
神魂神社の奥に、拝み墓が在る。
タイトル写真が、その場所の手水舎で、何とも苔むしていて手水舎なのに威厳を感じたりしたのは、東出雲王家の拝み墓だという先入観のせいかしらん。
何故か、結界にも見える。
薄ぐらい参道の先には王家のそれに相応しい場所が有ります。
江戸時代に、この場所に城を建てようとして、この地を踏み荒らした殿さまと家来だか帰宅後に真っ青な顔色になりその後亡くなったそうで、それ以来禁足地に。
禁足地という所へは無闇に入ってはいけない。肝に命じねば。
数々の苔むした石が拝み墓となっている。
それは、歴代の王のお墓らしい。数もあっているそうだけど?多く感じたりして。
何かに似てるなぁ〜
そうだ
環状列石のそれに似ていなくもない。秋田の大湯の環状列石はクナ族が南下する際に造ったお墓だと本に書いている。
拝み墓があって、埋め墓は熊野大社から見える天宮山(現·天狗山)だそうです。
熊野大社の狛犬様越しの天宮山。
もっと見える所を探す。
車を走らせていたら、熊野大社上宮跡と云う(看板だったかな?)場所への行ってみたら
最初、道があるとは思えない所から数人の人が降りてきた。「大変ですか?」と聞いたら「こういう所に来る人は大丈夫。行ってご覧なさい」と、何だか良く知っていそうな人が仰って下さっさので行ってみたら……
以外にちょっと登れば歩きやすい道が。
え?ここ?
と思っていたら、崖みたいな道が有りました。
人が3人立てるかな?という広さです。
元宮斎場跡へは、5月第4日曜だったか?に熊野大社から募り登拝が出来るらしい。
畏れ多いけれど、足腰の立つ内に行ってみたい。
富家だけの埋め墓なのか?
疑問が残る。