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約2700前?

紀元前7世紀
約2700年前、出雲族(インドのドラヴィダ族 クナト王が始祖)による広域統一国家出雲王国が成立したそう。

東出雲王家の王宮は、王庭(現 神魂神社)。西出雲王家は現在の智伊神社が王宮だったそう。

残念ながら、本を読んだせいもあり東出雲王家にばかり興味が湧き西出雲王家の事はよく分からない。

気になる事がある。

初代大名持·八耳王と稲田姫の間には二人の王子がおり、東西王家として直轄地を別けたとある。

西は八島土之身(八嶋篠)
東は兄八島土之身(八嶋手)。八耳王に因んで八なのか出雲族の聖数が八だから八?と考えてみたりする。

前々から気になっていた須佐神社の七不思議のひとつの神紋の由来は、その東西に別れた拠点を七不思議に被せたのではないだろうか?と思っている。

須佐神社のHPでは----------------
(すみません勝手に拝借しました)
【槇 (柏) の葉に松葉で通した孔がある槇の喬木。そのかみ、稲田姫が、於呂志古山 (産子山誕生山) でお産をなさった時、産具を柏葉で包み松の葉で綴じ流瀬川にお流しになり、それが現在の位置にとどまり川畔に繁茂して今日に至るという。この古事が後世、須佐神社の神紋「蔓柏」となったもので蔓は松葉を文様化したもの。従って須佐家の家紋の起源でもある。】-------------

ちょっと無愛想な神職(ご子息でしょうか?)さんにこの事を聞いてみた事がある。

よく神社で質問すると「神話では云々かんぬん」言うので「え?ここで神話が出る訳?」とうんざりしているにも関わらず、「神話みたいなものですか?」と口が滑り時遅し。

「神話なんてそんなものじゃないです」(神話なんて言う奴に教えてたまるか)と云う不機嫌な表情だったので、こりゃまずい聞き方をしたなと猛省。
この方々は何かを秘めている。

早々に退散。
神社庁の職員?とは大違いだ。



八耳王と稲田姫のスイートホームだとする須我神社から須佐神社は、ほぼ直線で中々な場所にある。

その後に何らかの都合で便の良い真幸ヶ丘辺りに移ったのではないのか?
真幸ヶ丘からは、サルタヒコが宿る花高山は遥拝出来る。

そして、西出雲からはクナト王の宿る大山は遥拝することは出来ないけれど、三瓶山(佐比売山
幸姫神の宿る)なら見えるだろう。(確かめてないけど)
   と、妄想が膨らむ。

確かめに行かねば。

#須佐神社
#稲田姫
#西出雲王家
#八耳王


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