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八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を

出雲は、雲が多い。
八雲立つ。

和国統一の気運が高まった出雲。
各地の豪族達(元はイズモ族なんでしょうか)が、集まる様になる。

現在の神魂神社は大庭町。読み方によってはオオニワ。
出雲王朝が存在した頃は王庭オウニワ。
オオとオウどちらも王。読み方を変えるのはよく有る。

そこは、王宮(神魂神社)の場所であり、王宮の前の庭を王庭と呼ばれ、人々が交流の場として集まるようになった。王庭は大庭と変えられ、王宮前の王川は意宇オウ川となった。
意宇って、最初は“いう”と読むと思っていた。
意宇川は、穏やかな中海へ続いている。

その途中、阿太加夜神社があり、この神社では10年に一度、「ホーランエンヤ」と云う船の祭りがあるらしい。
松江城のお稲荷さんに因んだ祭りらしいけれど、写真を見た限り、各地の豪族が春·秋の祭りに出雲王に会う為、着飾り船で神魂の王宮に行った様なのではないかと思ってしまう(あくまで想像)

 その広場は現在の駐車場の辺りなのか?
鳥居の横に逸れる道があり行ってみた。

鳥居の横道
この階段の右手にはちょっとした広場が
ありました。
階段の先には小さなお社が

広場の写真は残念ながら撮れてなかった。残念!
この左手に登ると王宮が有る。
やはり、この辺が王庭かな?王庭であって欲しい。
(願)

王宮。大社造の原型らしい

ここは、王が住まう宮殿だったそうなので神社のそれとは御祭神の祀ってあるのとは違うらしい。
 ここに出雲王が住まう場所だったのかと想像しただけで胸が熱くなる。

イズモ族同士の交流が盛んになった結果、出雲の地に到着してから1300年の年月を経て民族統一の気運が高まり、建国した王国を【出雲王国】とよんだ。
常緑樹の茂る国から四季のある地に辿り着き、春の眩しい緑の目が息吹く様に感動し【出芽】が【出雲】になったそう。

出雲には雲が多い。
タイトル写真の様な雲が多く見ることが出来る。
たまにしか行かない私にでも。
だから、【雲】にしたのではないのか?と思ってしまう。

武力による統一ではなく、同じ宗教により結ばれ言葉による統一王国。

東出雲王朝の富家(向家)と西出雲王家の郷戸(神門家)の二王制で交代で主王(大名持)、副王(少名彦)。本により年長者が大名持と書かれていたりするけど、年表を見る限り交代なのか?

神魂神社は東出雲王家、富(向)家の王宮だそう。
では、郷戸(神門)家にも集まったのか?と素朴な疑問が湧く。

出雲王国は、年に春·秋に二度祭りがあり一年に二才歳を取ったそうで、徐福が東の国に長寿の国があると仙薬を求めた言伝えと一致する。


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