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自分と向き合うということ

僕と私

僕には“解離性人格障害”があります。
簡単に言うと、「頭の中に数人の人格が居る」と言った感じです。
昔、僕はこれにとてもとても悩まされました。僕が何かに失敗する度に「なんで出来ないの?」「出来て当たり前でしょ?」「こんなことも出来ないなら死んだ方がマシよ」と言ってくる子が居ます。今もその子は存在しています。誰かに怒られている時、その子の声で頭の中はいっぱいになりました。「死んでしまえ」「お前みたいな愚図が生きて何になる」こんな言葉が頭の中を埋めつくしました。怒られている内容なんて殆ど頭に入って来ず、結局同じ間違いを繰り返しまし、再び怒られ、その度に彼女からの声に頭の中を埋め尽くされる。そんな日々でした。
今、彼女と僕はほんの少し仲良くなりました。と言うよりは、彼女の発言回数が減りました。確かに怒られた時は彼女の声が聞こえます。でも失敗した時なんかは「あーあ、またやってるわ」くらいに思ってくれるようになりました。彼女も僕の頑張りを認めてくれたのでしょうか。彼女が何を考えているかは僕にはよく分からないのですが。

過去と今

僕には過去の記憶がちょっぴりありません。いじめられっ子だった事は覚えているし両親が苦手だった記憶もあります。それでもいじめの内容だったり、母に何を言われて傷ついたか思い出せないし、場面の一つ一つを鮮明に思い出すことができません。時折悪夢のように出てきては僕はごめんなさい、ごめんなさい、と泣き喚きますが今では何に許されたくて謝っているのかわかりません。過去の自分が生きてきたルートが間違っていると思っているのか、それともただただ誰かに許されたかっただけなのか。先程述べた病気とは別に“複雑性PTSD”という病気も兼ね持っています。これが厄介で、薬での治療が難しいものだそうです。夢の中に小中学生の時の同級生が出てきたり、ふとした瞬間に過去が思い浮かんで悲しくなったり辛くなったりします。
僕は確かに過去と向き合わなければならないのだと思います。向き合って、自分自身と闘って、上手い付き合い方を身につけて、これからを生きていかなければならないのだと思います。これからを生きるために過去と闘わなければならない、なんて、ちょっとじゃ済まないハンデです。それでも、生きていたいから、今居るパートナーと未来を築きたいから、過去と闘って、生きていきます。
幸い今、この歳になってですが両親と心から和解ができて、16年僕を支えてくれた愛猫は空へ旅立って僕を見守ってくれていて、お世話になった大学の教授も時々ご飯に連れて行ってくれたりして、入退院を繰り返した中で親友ができて、そして何よりパートナーが僕を支えてくれます。
入退院を繰り返す度に友達が少しずつ増えて、中学生までの友達は全員縁が切れてしまいましたが大切にしたい縁が、返したい恩が沢山あります。
だから、生きてみようかな、生きていたいと思えるようになりたいな、死にたいと思う事が少なくなればいいな、と、病気と闘いながら考えています。

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