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命の母と夜明けを待つ

母の手を借りた次の日、「いつもならこのくらいのことで泣いてたのに」と拍子抜けした。

私は生理の前になると精神的にも身体的にもぐちゃぐちゃになる、いわゆるPMS(月経前症候群)だ。振り返ると月に「まともな日」は基本的には半分程度で、もう半分は何かがおかしい。イライラと自己嫌悪の波が交互に訪れ、いつにも増して細かい作業ができなくなりミスをする。仕事では電話の語気が強くなってしまったり、Excelで計算するなど複雑なタスクは頭が回らなくなり、「私はこの仕事が向いていないな」と家に帰って落ち込む。で、それらのミスをまともな日にカバーするというサイクル。こんな調子なので人生やキャリアのことなど真面目なことは生理前には考えられないし、考えても良いことがない。他の人たちはどのように割り切っているのだろうか。

最近観た映画「夜明けのすべて」ではPMSに悩む会社員の藤沢さんが主人公。彼女はホルモンバランスに体調・精神・キャリアなど何もかも振り回される。穏やかな日常の延長に急に訪れる症状を見ていると共感と助けてあげたいという気持ち、自分もこうなりかねないという恐怖を感じた。


大学生の時は環境も身体も変化していく中で、毎月生理が始まる日の朝に激しい腹痛に襲われていた。座っていられないほどの痛みで冷汗が吹き出し、トイレの床に脱いだパジャマやスリッパを枕にして横たわる。1時間ほど経過すると徐々に和らぎ、洗面所に手を洗いに行くと鏡に映るのは血の気がなく真っ白な顔をした私。婦人科を受診したが原因はわからず、しばらく漢方を飲み続けた。記念すべき二十歳の誕生日、ランチはいいレストランで両親と、ディナーは彼とお祝いの予定を立てたが、朝からまたトイレの床にぺったり寝転びすべてをキャンセルして寝込んでいたことを今でも思い出す。社会人になるとこの症状は徐々になくなり、代わりに生理前2週間頭痛を起こしたり明け方に目が覚めるようになった。

その時の予定の立て込み具合や年齢、ストレス、体調によって症状は様々で、毎度起こる訳ではない事象に対して薬を飲んで対処するというのは私の中ではハードルが高かった。薬は最終手段だからと生理前メンタルのうねりの中で自分を鼓舞してきた。同性の友人としばしば生理の話になると、彼女らの生活に支障をきたすような私よりもずっと重い症状でピルを飲み始めた話を聞き、「まだましだ」と思えた。

ある日、理由はわからないが1年程ぶりに腹痛でトイレに横になった。結婚を経て彼とすぐに子どもはいらないよねという話をしたのに、どうして毎月こんなにも生理に振り回される必要があるのかとやり切れない気持ちになる。しばらく便器を下から呆然と見上げていると何だか情けなくなってきて、「いい加減手を打たないとな」と思い立ちようやく薬局に命の母を買いに行った。

いざ飲んでみると劇的な変化や確証こそないが、波の振れ幅が小さくなった感じ。私の「イライラ」の矢印は少し自分の身体を出て、すぐにUターンし自分に向いている。他人や自分を取り巻く環境への無意識の衝動や攻撃性に気づき、自責に苛まれ深く後悔し沈み込む(もしかしたらなんで冷静に分析できるのかと思うかもしれないが、書いている今はそうじゃない月の半分だからだ。)。命の母に頼って迎えた生理前の期間は、沈みが浅く「普通」に戻るのが楽だった。常に第三者の目線に立って物事を考えられるし、大げさではなく空気が冬の朝くらい澄んでる気がした。

薬を飲み、PMSの症状改善よりも「当たり前になっていた不調は治せるんだ」とわかったことが大きかった。身体的症状は普段からまちまちなので、変化はよくわからなかった。ただこれに関しては昔は効かなかった漢方が作用する可能性もあるし、今の自分に合った方法を探し続けるしかないと思う。PMSの他にもずっとそういうものだと我慢してきた歪みや痛み、生きづらさだって無視してはいけない。

私に起こる黒ではないがグレーなことに向き合う時が来たのかもしれない。



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