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【回顧録】魔法の料理 - BUMP OF CHICKEN

私の姉は、子どもの頃からBUMP OF CHICKENが大好きだった。

家族でドライブする時にはいつも、姉のウォークマンからBUMP OF CHICKENの曲が流れていたので、私もサビを聞けば曲名がわかる程度には詳しくなっていた。

でも当時の私はあまり歌詞の意味を深く考えることはなくて、頭に入ってきた音をそのまま真似してみたり、伴奏を楽譜におこしたらどんな音符になるかなあとか(中学の私は吹奏楽部だった)、そんなことを考えて聞いていた。

姉と離れて暮らすようになってからは、私はBUMPの歌を自分から聞くことはほとんどなくなってしまったのだが、先日ひょんなことからYouTubeで久しぶりに曲を聞いたのだった。

久しぶりにカラオケに行くことになった私は、YouTubeで自分の歌える歌を探していた。

もともと音楽にあまり興味がなく、これといって好きなアーティストがいるわけでもない。そして声も低めだから、流行りの女性アーティストの歌なんて歌えない。

そんな調子だからカラオケなんてほとんど行ったことがなかった。

音楽好きな姉につられて家族でカラオケに行くときは、ほとんどタンバリンを持って姉の美声を聞いているだけだ。椎名林檎の高い声も、BUMPの低い声も、よくもまあそんなに幅広く出せるものだと感心しながら聞いていた。

YouTubeの検索結果に出てきた曲を眺めながら、Aメロからサビまでを口ずさんでみる。

ぎりぎり全部出せそうな音域の「花の名」。

意外といける?と思ったら、Aメロを1オクターブ高く歌っていて、サビで無事死亡した「天体観測」。

最初のフレーズが低すぎて歌えないけど、なんだかとってもクリスマスが楽しみになった「スノースマイル」。

そして次に流れてきたのは、子どもの頃の私でも唯一歌詞に(感動ではなく)共感できたという点で、記憶に残っていたこの曲だった。

”叱られた後にある 晩御飯の不思議
あれは魔法だろうか 目の前が滲む”

「魔法の料理 君から君へ」だ。

母にひどく怒られたあとー母が叱るのは大抵の場合、私が周りへの感謝の気持ちを忘れていたときだったー、幼い私はよく、自分の部屋で泣いていた。

傲慢だった自分が恥ずかしくなって、いつもは優しい母を怒らせてしまったことへの罪悪感と後悔が募る。

仕事から帰ってきた父や、別の部屋で宿題をしていた姉は、私が怒られたことを母からどんな風に聞いたんだろう。

コンコン、と私の部屋のドアをノックする音がした。

「ご飯だよ」と姉がドアの向こうで静かに私を呼ぶ。

いつもならば、母が2階から「ご飯できたよー!」と叫んで皆を呼ぶのだが、母が怒った日の夜は、こんな風に怒られていない誰かを”遣いにやる”のだった。

それでもやっぱり家族皆の前に行くことが躊躇われた私は、その姉の呼び出しを断って、再び静かに泣いていた。

30分ほどして、他の皆がご飯を食べ終え、姉がお風呂に入り、父がリビングでテレビをみ始めた頃。

私はやっと部屋から出て、キッチンでお皿を洗う母の元へ向かう。

気配を悟られないよう、静かに階段を上がる。

階段を上がると目の前に現れるキッチンは母お手製のカーテンで仕切られていて、料理を運ぶときに布をまとめておくためのクリップが端に挟んであった。

そのカーテンをぎゅっと握り、音を立てずにゆっくりあける。

すると、母がこちらを向いて、静かに笑いかけるのだった。

「おかえり。お腹、空いたでしょ。」

私はこっくりと頷いて、母の顔を見上げる。

部屋から出るときに、最初に言おうと決めた言葉は喉の奥でつっかえてなかなか出てこない。
話そうとすると声より先に涙が出そうになった。

目に涙を溜め、声を震わせながら、私はようやく母に向かってつぶやいた。

「お母さん、ごめんね。」

すると母は水道の水を止めて、しゃがんでこちらを向くと

「お母さんも、ごめんね。」

そう言うのだった。

さっき部屋ですっかり出し切ったと思った涙が再び泉から湧き出したように流れてきて、もうそれは自分の意志で止めることができなかった。

涙で滲んだ世界の中に、電子レンジの音が響き、炊飯器から温かいご飯の香りが漂ってくる。

母に連れられてキッチンのカーテンをくぐり、ダイニングテーブルに行くと、そこには二人分の晩御飯が並んでいた。

母はいつも私の隣の席だけれど、今日は目の前で一緒に「いただきます」をする。

罪悪感を抱えたままでは決して食べることのできないこのご馳走は、いつも私に「ありがとう」を思い出させてくれた。

BUMP OF CHICKENの曲は、その後にこう続く。
“正義のロボットの剣で 引っ掻いたピアノ
見事に傷だらけ こんなはずじゃなかった”

正義のロボットの剣は、少し大人になった僕が歌う二番では、「プラスチックのナントカ剣」に変わる。

正義の剣は、黄金や鋼ではなく、プラスチックだった。

でも、”本当のこと”を知る前の僕にとってはそれは紛れもない正義の剣で、それは大人たちが作り上げたおもちゃの箱に書いていたのかもしれないし、周りの大人たちが僕にそう教えたのかもしれない。

いずれにせよ、すでに本当のことを知っているはずの大人たちは、なんの変哲もないプラスチックの剣を正義のロボットの剣に変える魔法を使うことができた。

叱られた後にある晩御飯は、誰が魔法をかけているのだろう。

大人になるということは、魔法使いになるということだと思う。

ある物事の真理を解き明かせるまで、人は誰しもその分野においては子どもで、そこから、かつての自分にとっての謎を、種明かしをしないままに美しく昇華できるようになって初めて、人は(あくまでもその分野においては、だけど)大人になれるんじゃないだろうか。


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