道引く者になるということ
「私、隣の県にある〇〇高校に行きたいです。今までこの高校を受験したことのある先輩って、多分いないと思うんですけど。」
急にそんなことを言い出して、中学校の職員室を震撼させたのが中学三年の夏の私である。
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季節は少し戻って中学三年の春。
成績は優秀で、このまま頑張って勉強していれば県内のどの高校へも行けるだろうと、学校の先生からも塾の先生からも期待されていた私は、進路希望用紙といつまでもにらめっこしていた。
県で一番の進学校で、東大合格者も毎年輩出している△△高校。将来有望で優秀な仲間たちと切磋琢磨できて、良い大学を目指せることは間違いない。
あるいは、偏差値も高くて英語に力を入れている◇◇高校。英語がマスターできれば将来色々な国で活躍できるようになるかもしれない。
公立高校受験が一般的な田舎では、成績が良い子達は、大抵この二つの高校のどちらか選ぶのが当たり前。
学校の先生も塾の先生も、教え子がどちらかの高校に入ってくれれば大喜びだし、傾向と対策も万全だった。
「うーん、文化祭や説明会も行ったけれど、なんかしっくりこないなあ。行きたくないわけではないけれど、私が行くべき場所はこの中にあるのかしら。」
中学校では誰もが認める優等生。
勉強も部活も真面目に取り組んで、優秀な成績を収めてきた。
頑張った分だけ成果が出ることは楽しかったし、周りの人たちが頑張りを褒めてくれるのも嬉しかったから、優等生でいることも嫌いではなかった。
でもなんだろう、あらかじめ引かれたレールの上をただ歩いているだけのような閉塞感。
どんなにテストで良い点をとっても、心のどこかに虚しさが残る感覚。
「もっと毎日が新しくて、ワクワクするような面白い事に溢れていて、優等生以外の私が心から楽しめるような、そんな場所はないかしら。」
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そんなある日、姉と同じバレエ教室に通っている女の子が、隣の県にある〇〇高校に通っているという話を聞いた。
踊ることが好きで、ダンス部のある学校を探していたら、たまたま隣の県にある〇〇高校を見つけたらしい。
またその学校は制服がなく、学校行事も個性的で、とにかく自由な校風が特徴だった。
聞けば、県境近くのこの地域に住んでいる人なら、隣の県にあるその高校も受験できるらしい。
近々学校説明会があるというので、興味を持った私はその学校を訪れた。
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最初の授業見学で目にしたのは、思い思いの服を身に纏って授業を受ける高校生たち。
説明会で誘導や受付をしてくれた先輩は、なんだかとっても生き生きしていて大人っぽくて、魅力的に映った。
他の学校の説明会や文化祭に行った時に出会った先輩たちは、とても礼儀正しくて落ち着いているけれど、どこか堅苦しい雰囲気で、なんだか居心地の悪さを感じてしまった時もあった。
そして、同じ制服を着ていたからかもしれないけれど、どの人も同じように見えたことを思い出した。
けれども、〇〇高校の先輩たちは一人一人個性があって、短い会話の中でも、その人の心と直接触れ合えているような感覚があった。
「この高校に行けば、何か素敵な経験がたくさんできるかもしれない。」
母親も同じことを感じたのか、 説明会が終わった後「この高校、良いんじゃない?」とつぶやいていた。
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受験生にとって要となる夏休みを控えたある夏の日。
見知らぬ高校名が書かれた進路希望用紙を見た学校の先生達。
いくら優秀だとはいえ、出題される傾向も、受験の形式も違う隣の県の高校を受けるなんて・・・。
しかも受験まで半年というこのタイミングで。
職員室にどよめきが起こったという。
「Shiori、県で一番の高校に行きなさい。そして東大に行きなさい。そうすれば優秀な仲間にたくさん出会えるから。」
そう熱弁していた塾の先生は、斜め上からプランCを持ち込んできた私をみて、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
(今から全く未知の試験の傾向と対策を分析するのも大変だし、小論文まであるらしい。
しかも、いくら隣の県で一、二を争う進学校とはいえ、この辺りではほとんど誰も知らないような高校。
そんな高校に合格するより、有名な県内の進学校に行ってくれれば、塾の実績にもなるのに・・・。)
きっとそんなことを思っていたに違いない。
そんな大人たちの顔色を知ってか知らずか、一度これだと思ったものは絶対に譲らない私。
朝は誰よりも早く学校に行って勉強をし、夜は塾の授業が終わってから閉館ギリギリまで勉強。
過去問をやり倒して、小論文の添削を国語の先生や塾の先生にお願いしてひたすら練習した。
学校の先生も塾の先生も、最初こそ戸惑っていたものの、受験の手続きや傾向と対策の分析など、未知の世界のことを一生懸命調べ、協力してくれた。
こんなたった一人の生徒に過ぎない私に、多くの先生が力を貸してくださったことは、今思うと本当にありがたく、先生方のおかげで合格できたと言っても過言ではなかった。
周りからすれば、中学校でせっかくできた友達が一人もいない環境に飛び込むなんて、変な人と思われていたかもしれない。
確かに、知っている人が誰もいない環境、そして自分が抱いていた期待どおりの未来が待っているという保証はどこにもないその場所に、一度しかない高校生活を捧げるなんて今思えば馬鹿げている。
けれど、あの時私が信じた直感は決して間違っていなかった。
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高校の入学式で出会った同じクラスの女の子。
その子も、〇〇高校の自由な校風に惹かれ、違う県からたった一人で受験したそうだ。
やはり類は友を呼ぶのである。
そんな仲間たちとの高校生活は楽しくないはずがなく、高校三年間は瞬く間に、しかし鮮烈な残像をまぶたの裏に焼き付けながら過ぎ去っていった。
時々、離任式や後輩たちのコンクールの応援で中学校を訪れる機会があったが、その度に先生たちは私の高校受験のエピソードを語った。
そして最後に必ず、「こんなに楽しく高校生活を送っているのを見ると、あの時一緒に挑戦できて良かった」と言ってくださるのだった。
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高校を卒業し、大学一年生になった春のこと。
高校三年のときの担任の先生から一通のメールが届いた。
「今年、私は一年生の担任になりました。そしたらなんと、クラスにShioriさんと同じ中学校から来た生徒がいたんですよ。Shioriさんのこと、中学校の先生たちから聞いて、自分も〇〇高校に行ってみたくなったんだって。」
きっと、私があの時行くと決めていなかったら拓かれていなかったであろう道。
私が未知の世界に初めて足を踏み入れた時の記録や記憶が、その子に希望や勇気を与えたかもしれない。
自分がただ行きたくて、挑戦してみたくて切り拓いた道が、他の誰かの世界・選択肢を広げてくれているということに、深い感慨を覚えた瞬間だった。
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