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【読書記録】コンビニ人間 個人的ハイライト



多様性の現代の中にある均質な世界

組織の人間に求められることは
「使える」かどうか。
それは、多様性が求められる現代においても変わらない。

「僕はそれで気が付いたんだ。この世界は、縄文時代と変わってないんですよ。ムラのためにならない人間は削除されていく。狩りをしない男に、子供を産まない女。現代社会だ、個人主義だといいながら、ムラに所属しようとしない人間は、干渉され、無理強いされ、最終的にはムラから追放されるんだ」

店長は、使える、という言葉をよく使うので、自分が使えるか使えないか考えてしまう。使える道具になりたくて働いているのかもしれない。 
(中略)
肉体労働は、身体を壊してしまうと「使えなく」なってしまう。いくら真面目でも、がんばっていても、身体が年を取ったら、私もこのコンビニでは使えない部品になるのかもしれない。


変わらないために変化する

人間が体の恒常性を保つために代謝を行うように、
組織も変わらぬ営みを続けるために絶えず変化している。

ふと、人間の身体の水は二週間ほどで入れ替わるとどこかで聞いたことを思いだす。
毎朝コンビニで買っていた水はもう身体から流れ出ていき、皮膚の湿り気も、目玉の上に膜を張っている水も、もうコンビニのものではなくなっているのだろうか、と思った。

元気よく商品のバーコードをスキャンし始めると、女性は目を細めて言った。 
「ここは変わらないわねえ」  
私は少しの間のあと、 
「そうですね!」 
と返した。  
店長も、店員も、割り箸も、スプーンも、制服も、小銭も、バーコードを通した牛乳も卵も、それを入れるビニール袋も、オープンした当初のものはもうほとんど店にない。
ずっとあるけれど、少しずつ入れ替わっている。 
 
それが「変わらない」ということなのかもしれない。


「普通」に溶け込んでいく「異物」たち

郷に入っては郷に従い、朱に交われば赤くなる。
その社会での「普通」に溶け込むために、人は絶えず変化する。

同じことで怒ると、店員の皆がうれしそうな顔をすると気が付いたのは、アルバイトを始めてすぐのことだった。
店長がムカつくとか、夜勤の誰それがサボってるとか、怒りが持ち上がったときに協調すると、不思議な連帯感が生まれて、皆が私の怒りを喜んでくれる。
泉さんと菅原さんの表情を見て、ああ、私は今、上手に「人間」ができているんだ、と安堵する。
この安堵を、コンビニエンスストアという場所で、何度繰り返しただろうか。

一番怖かったのは、新人のトゥアンくんだった。彼はどんどん店を吸収していて、店の皆に似てきていた。
それは以前の店だったら問題なかっただろうが、今の皆に似てくることで、トゥアンくんがどんどん、「店員」とはほど遠い生き物に成長していくようだった。

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