自宅に戻る
オーバーヒートして実家に身を寄せてから2ヶ月。
実家の母もだんだん疲れてきて、居心地が。。。でも働きながら、この一筋縄でいかない子どもたちを一人で育てるなんてできる気がしない。八方塞がりは変わらず、糸口は見えない。。。
そんなときに動くんですね。
旦那が散財していることに気付く。ヤバイ。。
逃げてちゃだめだ。話し合わなくては。
子どもたちを実家に託し、話し合い。いつも不機嫌そうで、怒る時だけ口を開くような態度にみんな耐えられないと、言いたいことを率直にぶつけ、私が相談していたカウンセラーから、お父さんもカウンセリングを受けることを勧められたことを伝えると旦那は「何とか変われるように努力する。自分がカウンセリングにかかるのはハードル高いけど、本を読んだりして勉強してみる。」と。子どものためのペアレントトレーニングという形なら行けるということで、次男がプレイセラピーの親面接にも行ってもらうことで旦那の変化に期待してみようと自宅に戻る決心をしました。
それから、本当に旦那からは変わろうという意識が伝わっています。子どもを通して「自分もこれ(発達障害)だわ。」と気づけたことが、本人にとっても気持ちが楽になった様子でした。朝の支度は分刻みで正確だし、ルーティンが崩れると途端に余裕がなくなるけれど、そのわかりやすさにどちらかというと脳内ADHDタイプの私は助けられているんだなとも思うようになりました。
自宅に戻ると同時に、下の子を保育園に預けることにしました。その半年前くらいにも、どうしたらいいかわからなくて区役所の子ども家庭課に相談に行ったら「とにかく下の子を保育園に入れましょう!」と、話を聞いて下さった保健師さんがすぐに調べてその場で書類を揃えてくれたのですが、保育料が6万円・・・いや。私が働くわけでもないのに払えない。それならこの子を背負って学校に行こう。と、入園の手配を蹴っていました。まだ、「私がなんとかできる。」と思ってたんですね・・・
でも、崩壊したことで6万円払ってでも預けようと割り切ることができ、区役所は一旦話を蹴ってしまった手前行きづらく、まずは療育センターに相談しようと久しぶりに診察の予約を取りました。一通り現状の話をすると主治医の先生が「お母さん、今日ここに来てくれて本当に良かった。来てくれてありがとう。」と声をかけて下さり、私の涙腺は崩壊。ああ、頑張りすぎてたのかもしれない。と気づかせてくれました。
ソーシャルワーカーさんも来て下さり、保育園の手配やこれからの生活の交通整理を一緒に考えてくれて、とても安心しました。おかげさまで無事入園することができ、母乳をやめ、それだけで私の心身、気力がみるみる回復したのは言うまでもありません…
いろんな人に支えられて今があると、本当に感謝しています。
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