急には出来ないって言われた話し。
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【 急には出来ないって言われた話し。】
なんだ、意外とあの頃には話半分で聞いていたものでも、今になれば、分かるものもあるじゃんか。
どうも、若さとは、青く罪深く無謀で自由、鈴木です。
10代の終わりから20歳そこそこの頃、僕は身近に、数冊の本を置いていた。
限りなく透明に近いブルー、風の歌を聴け、1973年のピンボール。
…気が向く度にパラパラと捲っては、どこを切り取っても良かったのだが、好きな一節をほんの数分で味わい、日常に溶け込ませていた。
さて、本日も始めましょう。
"「ねえ、私が死んで百年もたてば、誰も私の存在なんて覚えていないわね。」
「だろうね。」と僕は言った。"
…それでは。
…
ー 当時はバカにしてた事。
はっきり言って、今でもリスペストは出来ていないし、人格者だとは思わない、でも。
はい。本日も始まりました。もう一年以上はこのフォーマットで書き続けているのかな。拍手。( 8888
さて、今日は、なんでだったっけな、なんでだろう、う〜ん…。。。
思い出しました。高校生の時の、担任の言葉を。
確か、二年生と三年生の時の担任は、同じだったと思う。二年生に上がる時、一年生の時の担任は、どこか別の高校に行ってしまったように覚えている。
皆んなもそうかもしれないけれど、確実に記憶は曖昧だ。
懐かしいという感情さえ出てこないくらいに、17年も前の記憶は、あやふやで。
事実ベースでは覚えているぐらいだろう、つまりは文字では覚えているが、映像と音声は出て来ない。僕の脳は古びている。
…
“ 普段から出来ない事は、いざという時にも出来ないからな。"
…懐かしい。いや、一応は懐かしいと言っておきたいだけなのだろうけども、二、三年時の担任が、クラスの前で発した言葉だ。
その背景としては、僕が通っていた高校は、埼玉県の中でも下から数えた方が早いくらいに、頭が良い高校からは程遠かったから。
校則の指導は厳しかった。しかし、守らない生徒側の反抗も、激しかった。
三年生になった頃くらいなのだろうか。
大学進学や、就職というものが、現実味を帯びてきた。
今までだらしなかった格好をしていた生徒たちが、ほんの少しずつ、綺麗な着こなし、いや、社会人らしい着こなしになっていったように感じる。
そんな中、僕は変わらず、最後の最後まで、だらしない格好をしていたのだった。
青く罪深く無謀で自由な、典型的な10代だった。
校則を守る事は、格好悪いとさえ、感じていた。
ウエストは下げて、謂わゆる腰パンをしていたし、シャツのボタンは幾つか開けており、ネクタイはだらしなく胸元に垂れ下がっていたものだ。
そう、普段からこんな身なりをしている人間は、いざという場面でのみ、きちんと着こなす事は出来ないぞと、あの時の担任は、そう言った。
僕はその時に思ったものだ。
" そんな訳ない。その時になれば、ネクタイだってキチンと着けてやる。"
…
時は流れ、あの時の僕からすれば、約二倍の人生を生きてしまった。
ロックスターだから27歳で死ぬんだ。…なんてホザいていたが、なんならあの時よりも、今の方が健康なぐらいだ。
今になって、当時の教職員よりも、下手をすれば歳を取って、思うに。
あの時には素直に聞けなかったけど、今なら分かるというものは、確かにある。
繰り返すようなものでもないが、だからと言って、思い出して彼らを、リスペスト出来た訳でもないし、人格者だったとも思わない。
ただし、言葉は独立している。
誰が言おうが、正しいものは正しいからだ。
言葉は、人を離れて、言葉になる。
…ですます口調を除くと、すごくエッセイ調になりますね。これはこれで、お納めを。
本日は、急には出来ないぞと言われた事を、思い出したという話し、でした。
おしまい。
出会ってきた全ての人に、感謝を込めて。
そんじゃ〜ね!
ノシ
…
はい。本日もお目通しをいただきました。
あの時の先生には、すごく感謝をしている。
…なんてエピソードを、耳にする事がありますが。
僕の場合だと、誰になるんだろう?
思い浮かばないってコトは、そういうコトなのだろう。
それはさておき、本日も。
久し振りに敬語を取っ払って、センチメンタルスパイスをかけたエッセイ調で、書いてみたりなんか、しちゃいましたが。
ありがとうございました。お付き合いをいただきました。
担任だの先生だのって、特殊な世界だよね。義務教育、か。
それでは、また明日です。我以外皆師。
余談 … さて、過日。もう何年の付き合いになるのだろう。期間が空いても、会えばいつでも同じ調子で過ごしてくれる、吉祥寺は地主の三代目、小林先生。にいむら本店、ご馳走様でした〜🐷✨