誰でもどこでも、人の為に出来る事。
※ これらは、僕がFacebookに日々したためている文章を、せっかくならとnoteにも投稿させて頂いたものです。気が向いたら、note用の文章も書くかも。こうしてあなたの目に留まったのも何かのご縁。ゆっくりしていってね!
【 誰でもどこでも、人の為に出来る事。】
12月も三分の一が過ぎました。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
東武スカイツリーラインの車内からお届けしております、鈴木です。
所用があって、今年二回目の帰省を行なっていました。
年末年始の混雑を苦手とするので、次に帰るのは年が明けてから、しばらくしてからかな。
実家に限らず、フィジカルを遠くに運ぶのは良いですよね。
本当にふとした瞬間に、自分の考えなんて凝り固まってしまうから。
むしろ実態は、誰しもが凝り固まっているのが常態であり、意図してほぐす時間を作るに近いかも。
さて、日本でも用いられている暦、グレゴリオ歴では、日曜日が一週間の始まりで、終わりは土曜日。
質問させて下さい。
素敵な一日になりましたか?
それとも、素敵な一日になりそうでしょうか?
事実は一つ、解釈は無限、捉え方は主観。
素敵に囲まれた僕たちは、今日も行ってみましょうか。
ー 自分に出来る事なんて無いんじゃないかと思ってしまった時期。
19歳の終わりでした。
僕が進学の為に、都内で一人暮らしを始めたのは。
それからは恐らく、都外に行くのは何かあった時の月に数回。
僕はこの10年強を、ほとんど東京で過ごしたと言うのが、客観的な事実になるでしょう。それは今も。
これをお読みになられている方の中には、様々な地方、加えて海外の方も当然いらっしゃる訳ですが。
あくまでも主観にフォーカスして、東京について書きたいなと思います ( 今日はです。他意は無い ) 。
東京ね。
バケモンみたいな人たち、ごろごろおるんですわ。
海千山千と言えば、実態には近いかもですが。
昔、少年時代に思い描いていた裕福とは桁の違う富裕層が、それはもうごろごろいらっしゃって。
色々な凄いを事細かに定義してもキリがないので、分かりやすい共通言語である " お金 " だけにフォーカスしても、ごろごろと。
どこからを凄いと定義するかは多分に主観が混じるので、あくまでもただの数字の羅列にはなりますが、資産の桁で言えば 09桁 , 10桁 , 11桁 と。
( まだ僕のステータスでは12桁の方とはご縁が少なくて。でも、この東京にはごろごろいるはず。だって、日本のタンス預金の推定総額は50兆円だから。)
うん、東京って凄い。
で、ですね。彼らがどうとかいう話しってよりはね。
僕は、自分の無力さを感じていた時期が長くてですね。
お金のある人って、やっぱり色々と得ている方が多いんです。既に。
有形も無形も、権利も経験も。
僕なんかが彼らと対峙した時に、提供できる価値なんて無いんじゃないかな?って。
そう、思ってました。
( 当てはまるケースも多分にあります。ただ、それは恐らく誰に対してもそう。合わない人は合わない。そんなシンプルな事実を忘れていたんです。)
じゃあ、今はどうなのか?って。
まだまだ未熟な僕なりには、日々日々様々な人とお付き合いをさせて頂くに。
お金や経験、出自の有無は関係無く、提供出来る価値は誰しもが持っているんだと、考え方を改めました。
もちろん、こんな僕にもそれらは適用されるのです。
どんな人にも、人に対して満たされていないナニカを持ち合わせているもんだなと。
強く、そう思います。
幸せは慣れと老いにより逓減するからです。
一生懸命に欠けたナニカを補填し続けて初めて、幸福は現状維持ができるものだと。
お金がたくさんあっても、家庭内に問題を抱えている人はたくさんいます。
その対象は多岐に渡り、家族に、子供に、親族に、上司に、部下に、同僚に、友だちに、異性に、そして孤独に対して、何かしらの問題を抱えています。
( 敢えて問題と表現しています、強い言葉でね。大なり小なりの、問題です。)
人ではなく、趣味や趣向、嗜好品や興味関心セグメントに対する欠落の場合も多いです。
当たり前ですよね、人間は万能なんかじゃないし、宇宙の全てを知り尽くしている人なんて存在しないんだから。
人間という存在を、概念を、もっとフラットな視点で捉える様になってからは、僕の気持ちは楽になりました。
こんな自分にでも、役に立てる事は必ずあるはずだと。
( 立てないケースは、相性の問題なので、何をどうしても逆立ちしても、立てない。つまりは気にしない。人類は80億人おんねんぞ! )
とある人は、話し相手になると喜んでくれました。
とある人は、話さなくても一緒にテレビ番組を見ていると、喜んでくれました。
とある人は、凄いですねと言うと喜んでくれました。
とある人は、肩を揉んであげると喜んでくれました。
とある人は、歩く時に歩調を合わせてあげると、喜んでくれました。
とある人は、夜道を一緒に歩いてあげると、喜んでくれました。
こんなんで良かったんだと、今にしたら思います。
敢えてこんなんでと言ったのは、誰にでも出来て、お金の掛からない ( ただし時間は使う ) 手段しか挙げなかったからです。
たったの、ちっぽけな、こんなんで。
喜んでくれる人は、たくさんいます。
お付き合いをする前は、( 褒め言葉としての ) バケモンだと畏敬していた相手でさえ。
人間でした。人間でした。
人に喜んでもらえるのは、嬉しいです。気分が良いです。その為に時間を、命を使って良かったなとさえ、思います。
今時は、離れていても、その人の為に時間を使えます。
話しを聞いてあげられます。
声を聞かせてあげられます。
心配をしてあげられます。
心配もさせてあげられます。
思うに、誰しもがどこにいても、誰かの役に立てる時代が、やってきたのです。
( 情報伝達網が未発達な時代は、そもそもが意志疎通のディフィカルティが高かったので、すごい事です。同時接続時代、常時接続時代、そして、透明の時代。)
さて、皆さんは、今日はどこの誰のお役に立ちますか?
こんな僕の言葉でも、誰か一人のお役には、立ってますか?
( 立ってるとは噂で聞きます。えっへん!皆んなありがとう! )
最高な時代に生まれました。
最高に自由な時代です。
誰しもが。誰しもが。
... 長くなりましたね。今日はここらで。
今日ぐらいは、修辞もせずに感謝の言葉を。
皆さん、いつも、本当にありがとうございます。
こんなんだって、東武スカイツリーラインの車内から届けてんだぜ。
改めて、最高の時代に生まれたよ。
それでは、また明日。一週間の、二日目だ。
余談 ... 2018年、年末。腐りに腐って、明日の希望も無かった僕の、人生を変えた言葉たち。スクリーンショットを保存して、事あるごとに見返してた。どこの誰かは未だに分からないけど、この言葉の力は実感してる。そして、まだまだ実感する📝
追記 ... よくよく考えたら、せっかく外部に弊社 ( というか僕だけど ) を出すのに、繋がる先が無いともったいないなと!
こちら、僕のFacebookページになるので、noteを見たぞ!と一言添えて、お友だち申請下されば幸いです。僕とお友だちになりましょう!