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「フジテレビ・バラエティ・レギュラー」という夢みたいなワードたち


ご無沙汰しております。

佐藤佳奈子です。


ただいま朝6:28です。

遅寝なだけです。



前回は私の大まかな生い立ちを話しました。

ちょっと間空きすぎて忘れてしまったという方はまた読んでくれたら嬉しいです。

前回は写真をたくさん載せていて、
自分で読み返したらなんかちょっと嫌でした。




文章の途中で、
『オールナイトフジコ』のフジコーズになったのが大学5年生だったと述べているのですが、
今回は
"なぜ5年生だったのか"
というところの近辺を話せたらと思います。


まぁ最初に、
私が通っていた青山学院大学の理工学部というのはもちろん通常なら4年生で卒業です。

ですが私は5年生で卒業しました。


留年ではありません。
卒業延期をしました。


ここはとても大事なので太字にしたし、
たぶんあとでもっかい言います。



卒業延期というのは、
卒業要件単位を満たした者が受けることのできる制度で、

まぁ要約すると、
卒業できるけどいろいろあるからもうちょっとだけ大学行かせて(懇願)汗
みたいなことです。


ね、

留年ではありません。
卒業延期をしました。

って太字にしちゃいたいし、もっかい言いましたね、

このしつこさは、しつこいと言われてもしつこく言っちゃうくらいのしつこさですからね、


なんで卒業延期したかというと、、

大体の人は大学3年生くらいから徐々に就職活動を始めるけど、
私はお芝居をやることしか考えてなかったので、
就活をいっさいしていませんでした。


しかし、お芝居でなかなか上手くいかずの日々…

自分でも焦ってはいたけど、
やはり両親が私のことを凄く心配していました。

家族はいつも夢を応援してくれていたので、背中を押してくれていたけど、
やっぱりどっかで心配してくれていて…


そんな家族の気持ちも分かっていたので、
複雑な感情でした。

そしてある日、母に、
夢は追い続けて欲しいけど、一旦就職してみてもいいと思うと言われました。


子役を最初にやらせてみようと思ってくれたのは母だし、
ずっと夢を応援してくれていたので、きっと母も悩んで言ってくれた言葉だったんだと思います。



家族に対して、なかなかお芝居でうまくいかず申し訳ない気持ちと、

絶対お芝居以外で将来進むなんてしたくない!という自分の中の固い意志があって、

家族とはたくさん喧嘩しました。


でもある日、母が勧めてくれた職業があって、


その職業の就活ならしてみてもいいかも、、
自分のやりたいことと近いかも、、
チャレンジしてみたら自分のためにもなるかも、、

と思ったんです。


私の中身をよく知っている人にはなんかあり得ないくらい驚かれるんですが、


私が就活していた職業は、アナウンサーです。


これ多分あんまり言ってないので、初めて知る方も多いと思います。汗


かなこがアナウンサー?笑
仲良い人はみんなそう言ってきました。

アナウンサーって上品で落ち着いてるイメージしかないですもんね。


結果ここまで上品にはなれましたが⤵︎

本当にギリギリまでこの写真載せるか悩みました
アナウンサー仕立ての佐藤佳奈子
恥ずかしいのでここだけの写真で汗




テレビの前に立ち、多くの人に何かを届ける、
という点では役者もアナウンサーも近しいものがあるのではないか、、


そう思い、
大学4年生の途中から就活を始めました。

遅れての就活で、一つ下の学年の人たちと一緒に受けていました。


つまり、アナウンサー就活のために、
1年延ばしてマスコミの授業を専攻したくて、
卒業延期をしたという感じです。

なので5年生で大学を卒業しました。

アナウンサー就活は
それはそれは大変でした。

何もわからないからとりあえず
キー局全部のアナウンススクールみたいなところに通い始めました。

金銭的な面も含めて、
家族にはおかしいくらい支えてもらいました。


小さい頃から、
家にいる時はずっとテレビ、という
THEテレビっ子少女団団長みたいなものだったし、
子役で培った滑舌もあって、
その辺は正直苦労しませんでした。

やっぱり一番苦労したのは、
政治とか、科目で言うところの社会全般!についての知識がなさすぎたこと!!!

社会勉強あんましてなくて、、
理系だったし、、
とかいう言い訳は通用しないしʅ(◞‿◟)ʃ

アナウンサーは、
ニュースを言葉にして人々に的確に伝えなきゃいけないのに、
私にはそれを自信持って出来るほどの知識がまぁ無かった汗


とにかく家ではニュースを毎日観ました。


足りない分、自分らしさを全開に出してカバーして
他のアナウンサー就活生たちに食らいつく日々でした。


自分らしさ=トイレのすっぽん
という結果になった自己PR動画


そんなある日、
アナウンサー就活生に就活情報を教えてくれる大規模なLINEグループみたいなところに

「フジテレビ ・ バラエティ ・ レギュラー」

の三つのワードが書かれたURLが流れてきました。


私は
この夢みたいなワードたち
に惹かれて、

詳しく読まずに、

アナウンサー就活のエントリーシートに書いていた自己PRなどをそのまんま入力してなんとなく応募してみました。

あんま大きな声で言えないけど、
このURLを見つけてから、応募までに要した時間、
3分。汗


ほんとに、なんとなく。


「フジテレビ ・ バラエティ ・ レギュラー」

だったんだもん。



バラエティを観るのが大好きな
THEバラエティっ子少女団団長だったから、


バラエティタレントになりたいとは思っていなかったけど、


「フジテレビ ・ バラエティ ・ レギュラー」

これ見たらなんか入力しちゃってました。


私ってなんでも親に話す人なんですけど、

正直、自分がまさかフジテレビのバラエティに出られるなんて思ってなかったし、この応募したオーディションも正直何なのか分かってなかったから、最初親に何も話してなくて。


書類が通って、二次審査の面接に進みましたの連絡が来て初めて親に言いました。


「オールナイトフジ」を親は知っていたから
えー!頑張って!!!!!って感じだったから

まぁそのリアクションを信じてオーディションに行きました。


のちに所属することになった事務所の方とお話しをし、
その時特技に書いてた
"千個の顔"
を見せたりして。

道にネズミが落ちていた時の表情をどうぞ!
とか言われてやったら、
小笑いだったとかもあって。


後日、次の審査に進んだことになり、
ここからはSHOWROOM審査ですと言われました。

配信とか人生でやったことなかったからもうどうしたらいいかわからなくて、
事務所の方にまずやり方から教えてもらいました。


オーディション参加者一覧がSHOWROOMで公開され、
見てみると
なんか皆ちゃんとした画像編集なされたプロフィール写真みたいなやつで
どうやって作んの?これ!ってとこからでした。オハズカシ


見よう見まねで配信して
モノマネしたり、とにかく友達と話してるみたいな感じではしゃいでみたりしました。

その時から観てくださっている方もいるのかな、
本当にありがとうございます。



という流れでオールナイトフジコに出演させていただくことになりました。



なんで大学5年生だったのか、を話すつもりが、
オールナイトフジコとの出会いを話していました。



就活の話に戻ります。


家族の協力もあって、
アナウンサー就活は最終面接まで行かせていただいたりもしたのですが、
内定などは貰う前に、
「オールナイトフジコ」に受かったということで、
就活はもうしなくてもいいよと両親に言ってもらいました。


就活はすっごくしんどかったけど、
就活をしたから
オールナイトフジコにも出会えたし、
自分と向き合う時間も作れたし、

良いことしかありませんでした。


NHKのインターンに行かせていただいたのですが、
その時に出会ったアナウンサー就活生の2人とは今でも飲みに行く仲になりました。

ちなみにこの2人は見事アナウンサーになることができて、2人ともいま頑張ってるみたいです。

それが何とも嬉しい限りです。


やっぱり何かをやってみるって、絶対無駄なことは無いし、良いことしかないんですね。



就活やめてもいいよと両親に言ってもらったとはいえ、
これがつまりどういうことかというと、

オールナイトフジコに受かって勢いがついたのだから、
ここからなんとしても芸能で頑張っていかないとだよ。

という意味なんだろうなと。


ほんとに頑張んないとなんです。



noteは今のところ2投稿連続で、
将来が不安です、頑張らないと。
みたいなこと言ってる。


がんばります。



はい、
それでは。

本日も拙い文章でしたが
呼んでくださりありがとうございました。

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