ラーメンにプリン入れようと思ったことないの
二十代半ばぐらいまでの遅刻は、だいたい自分と時間の操縦が甘かったり下手だったりするせいが多かったけど、この歳になって気付く遅刻は、その頃の自分のものさしじゃ解れなかった誰かの気持ちだったりする。
車を運転するようになって知ったのは、雪道がめちゃめちゃ滑るってこと。真冬の練習試合でよその中学校まで送ってくれる母を、友達の隣でのろいと詰った。そういう記憶に今が追いついて、しまってある場所でじんじん痛んだりする。そういう遅刻。
それから、映画の後に言われた俺と付き合おうと思ったことないの、を「ラーメンにプリン入れようと思ったことないの」としか聞こえてなかったこととか、自分にしか渡されていないと後で知ったお土産のこととか。そういう遅刻も最近になってちょこちょこ気付く。
今となっちゃ本当はどうだったかなんて知る由もないけど、少なくとも、そのとき相手が見ていた方向に自分は目を向けようともしていなかったことは確かで、そういう意味では遅刻というより落とし物に近いかもしれない。だけどあえて「落とし物」にしないのは、もう追いつけなくてもちゃんとその場所に向かいたくて、だから「遅刻」にしておきたい。
ところで遅刻って、自分の外の世界と関わろうとしないと生まれない現象で。遅刻って言葉の意味はネガティブだけど、遅刻って言葉の存在自体はすごくあたたかだなと思う。
一人の世界に生きることはとても簡単で、流れる時間の先で関わりを待つ誰かや何かがあることは、有り難いけど難しい。わたしは一人が好きで面倒臭がりですぐそこから離脱しそうになるから、遅刻って概念が存在する時間の中に身を置くことを大切にしないといけないなと思う。
そのときは解らなかった誰かの想いや考えも、今からでも間に合うものは、なるべく伝えていけるように。その、ちゃんと素直に伝えられかどうかは別だし、そもそも最初っから相手が見てる方向も守備しとけって話なんだけど。でもやっぱりどうしようもない人間同士だから、きっとこの先もたくさん遅刻に気付くんだろうなと思う。
その中には、過去から踵に傷をくらうようなものとは違う、たとえばたのしい遅刻っていうのもあるんだろうか。
まあ、それは自分で作ってみる、のもいいかもしれない。いつか気付くかなといたずら半分で、どこかの本棚に並んで映した写真を隠すみたいに。
#フリーロードエッセイ
2021/Feb №1
お題「遅刻」
🔎 #フリーロードエッセイ とは?
作家・野田莉南さん(@nodarinan)主催の企画エッセイ。毎週土曜日21:00にTwitter上で発表されるお題をもとに、指定の文字数内でさまざまな作家さんが執筆します。