祖母の家の時計が怖かった
年季の入った竹籠が並ぶ脱衣所で、小さい人が「こわい」と壁を差した。おしどり型の錠前がついた木のロッカーを閉めながら、指先を目でたどる。
壁時計があった。角丸の四角形で、もとの白が黄色く褪せてる。けっこう古い。線の細い数字が文字盤いっぱいに詰め込まれていて、そのアンバランスさがなんというか、レトロだった。
「あの時計、怖いの?」
「うん、こわい」
そっか怖いんだねと返しながら、そういえば自分にも昔怖い時計があったな、と思い出した。
*
田舎の祖母の家は、いろんなところに黒い隙間があった。ちりめんの三段抽斗の隅。階段の下から四段目。英国人形のスカートの裾。
もちろん本当に隙間があるわけじゃなくて、黒い隙間があるような「気がする」というだけなんだけれど、でも確実にあった。その部分だけ風景が陰っていて、なんだか妙にざわざわしていて、溟い。
そのころ別に霊的なものが見えたわけではないんだけれど、双子の妹もやっぱり祖母の家の同じ部分が苦手だった。あの感覚はなんて言ったらいいんだろうな。
二階のいつも寝泊まりする部屋に、くだんの壁掛け時計がある。角が丸くて四角くて、くすんだ黒い文字盤に、煤けた白の数字が並ぶ。秒針はそこだけ冴えるように、赤。いろんな黒い隙間の中でも、そこだけなぜか特別直視できないほど苦手だった。
かちこちの音は自分の家にだってあるのに、残響が雨漏りのシミみたいに広がる。電気を消すとなおさら、その音の中に何かが潜んでいるような、じっとこちらを伺っているような、そんな気配に怯えて、布団にもぐりながら必死に耐えた。
たぶん、何かが沁みついている。子どもの自分には想像すら不可能な、長い長い長い時間がぽっかりと口を開けているような、虚空。知らない思い出話、知らない人たち、ときどき死の匂いのする祖父母。ただの抽斗だし、階段だし、時計なんだけど、一歩踏み込んだら二度と帰ってこれない場所に連れて行かれてしまいそうで、怖かった。
*
あれから、終わりにむけて三分の一ぐらいの時間は歩んできたし、祖母たちが生きた時間の長さにも少しは追いついてきた。もし今あの時計を見たら、子どもの頃と同じように感じるんだろうか。(その祖父母の家は、もう無いけれど)
少なくとも、まだ三歳になったばかりのこの子には、いま隣にいる自分が歩んできた時間だって膨大すぎて想像不可能だろう。だって三年しか生きていない。おそらく五十年から昔の銭湯の壁掛け時計が怖いのも、まぁなんとなくわかる。
おかあちゃんも昔、おばあちゃん家の時計が怖かったよ、とこぼした。小さい人は聴こえていたのかいないのか、また
「こわい」
と言った。
そっか怖いんだね、とまた返す。
「髪乾かしにいこっか」
「うん」
「お金入れるの、する?」
「する!」
ドライヤーのある鏡台に向かいながら、ちらりともう一度壁時計を見る。
もし今あの時計を前にしても、たぶん昔ほど竦まない気がする。命の連鎖の二番手になるってことは、きっとこういうことなんだろう。