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悲劇のヒロインって結構安全地帯だ
たぶん誰もが一度は抱くシンデレラへの憧れは、自分の場合「いつか王子様が」という未来への期待ではなくて、子ども心の奥にひっそりと横たわる「虐げられたい」という欲求だった。
毎日って、とても怖い。
叱責とか否定とか、自惚れとか軽蔑とか、いつどこから飛んでくるのかわからない。せめて何か法則でもあればいいのに、いきなり見えない方向から飛んできて頭をブン殴られる。みんなそうなのかと思って隣を見てみればそうでもなくて、普通にのほほんとしていて「バカだねー」って言われたり。
やばいくらいにこの世界のルールがわからな過ぎて(今もよく解っていないけど)、なのにいっつも満身創痍で、特に子どもの時はいつもなんかどこか痛かったのを憶えている。
そんな自分に家族も手を焼いたと思う。よく叱られたりバカにされたりほっとかれたりして、それがまた痛かった。
いま思えば完全に人一倍敏感ななんとやらのせいなんだけど、当時はそれでかなりいじけてて、理由も出口もわからない痛みに泣き腫らすぐらいなら、いっそ何かの理由で徹底的に虐げてくれたほうがいいと思っていた。
自分のせいじゃない不幸に身を委ねれば、悲しみの出どころは常に一定で、その痛みも誰かや何かのせいで済む。いつも痛いから突然振り切れることもないし、痛みの陰に内省の放棄だってできる。悲劇のヒロインって結構安全地帯だ。子ども時代のわたしはそれを求めて、血の繋がらない継母たちに虐げられるシンデレラに憧れた。
当たり前だけどシンデレラにはなれなくて、そんな残念世界での生き方も少しわかってきたし、誰かのせいにしたくても誰も悪くないことも知った。
毎日って、とても怖い。
否定や軽蔑がいきなり飛んできて頭を殴るし、やばいくらいに世界のルールはわからないし、いっつも満身創痍でなんかどっか痛いし。でも。
痛みは隠れ蓑にするためにあるんじゃない。まあ大人になったからこそ言えることではあるけれど。
もしも今、シンデレラになれたとしたら。
かぼちゃの馬車がやって来る前に、ふざけんな死ねって吐き捨てて家出する。理不尽な不幸と安全な痛みに身を委ねながら泣き暮らすなんて、真っ平御免だ。
#フリーロードエッセイ
2021/Mar №1
お題「シンデレラ」
🔎 #フリーロードエッセイ とは?
作家・野田莉南さん(@nodarinan)主催の企画エッセイ。毎週土曜日21:00にTwitter上で発表されるお題をもとに、指定の文字数内でさまざまな作家さんが執筆します。