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光と影、憂いと儚さ。

こんばんは🌛

前回の記事を書いた時、この記事の元となる下書きを見つけました。
「憂い と 儚さ」をテーマに掲げて、写真を撮ったり作ったりしていた時期に書いたものです。

↑見つけた時のツイート

今はその「憂い と 儚さ」をテーマというほどは意識しなくなったのですが、読んでみると考え自体はそこまで変わっていない気もしたので、そのまま載せてみることにしました。

確かこれ、他にも言いたいことがあったのに うまく言葉が見つからなくて一旦下書きに入れたもののような気がするのですが、自分は一体何を言いたかったんだか全く思い出せないので、とりあえずそれはよしとします。笑

また思い出したら、書き足すか、Twitterにでも呟こうかなと思います。

↓始まるよ〜↓

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個人的に、「光と影」と「憂いと儚さ」は物理的にも概念的にも似ているというか、ほぼほぼ同じものだな〜と感じています。
というのも、影があるところには光があるように、憂いがあればそこに儚さがあるなと思うからです。

とは言っても ただただ光=儚さ 影=憂い という訳ではなく、“柔らかい“光と影こそが憂いと儚さになるのだと考えています。

なので、写真をレタッチする時には光を儚さ、影を憂いと見立てて なるべくどちらも柔らかい質感になるようにしています。

そして、柔らかい光と影、憂いと儚さが共存した時に 写真には「優しさ」が生まれると感じていて、その「優しさ」欲しさゆえに自分は憂いと儚さを追い求めているのかも…と考えることもあります。

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と、ここまでが下書きの内容になります。
きっとこの後に何か言いたかったのだと思いますが、中途半端なところで終わってしまっていますね。(思い出せ〜〜)笑

今と前で違うところがあるとすれば、写真をレタッチするときに なるべく光と影が柔らかい質感になるようにしている、というところだと思います。

間違ってはいないのですが、今はどちらかというと写真そのものの雰囲気やそれを撮った時に感じたことに寄せる、写真それぞれに合ったレタッチをするようになりました。

特に光は、書いてある通り柔らかい質感にするのも好きなのですが、鋭く 眩く キラキラさせることも多いです。

まあそれでも、好みが好みだし価値観が価値観なので、「憂い と 儚さ」を頭に置いていた時と置いていない時でそんなにレタッチの雰囲気は変わっていません。少しだけ憂いの比率が上がったくらいでしょうか (´-`).。oO

去年の冬。この日のレタッチ永遠に好き。

それでは最後に、下書きを書いた当時から現在までに至る、「憂い と 儚さ」の雰囲気がよく表れているなと思う写真を並べて、このnoteを終わりにします。🪐 
(集めてみたら好きな写真が多くて、やっぱり好みなんだな、と思いました)

読んで下さってありがとうございました☽︎‪𓂃 𓈒𓏸◌‬

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