空も言葉で出来ている
気付いたんですけど、ひとつの話題についてたくさん言いたいことが浮かんだときってツイートするよりnoteに書いた方がいいなって少しツイートしかけてから思いました。
私本当に「エモい」という言葉が嫌いなんですよね。もちろん「何かわからないけれど湧き上がってくる大きな気持ち」をうまく説明する言葉としてぴったりなのはよく分かるし、この言葉ができたことで何かとスムーズな場面ができたこともよく分かるんですけど、いわゆる「エモい」瞬間が訪れたときに「うわあこの感じなんだろう」「なんて言ったらいいんだろうね笑」って言葉にできない感情を共有し合う時間が結構好きだったというか。
言葉にできなかったからこそ、その時抱いていた気持ちがひと言ふた言では説明のつかないくらいの気持ちだということが分かるわけで、言葉にしなかったからこそ、その時の感情がひとつの単語にまとまらない大きさと深さのままでいられるわけで。
言葉にするということはあらゆるもの・こと・現象・感情を形にする、枠取る、当てはめるということで、ある意味その対象に“制限をかける“ことでもあるなと思うんです。
例えば私がいま空だと思っている、世界のだいたい上側に広がっているものは「空」だけど、「空」という言葉を除いて考えてみればそもそもこの世界の一番端に見えているものの境界なんて分からないし、「空」という言葉が世界に区切りをつけて「空」を作っているのだなと思ったり。
あるいは日本語だと「空」だけど英語だったら「sky」で、韓国語だったら「하늘」で、どの単語でもだいたい“自分のいる世界の上に広がっているものを指す“ことは一緒でも、それぞれの単語で絶妙に受けるイメージや連想するものが違ったりするかもしれなくて、もしどの言語からも影響を受けずに育つ人がいたとしたらまた違う単語が生まれているかもしれなくて。
そう思うと、もちろん伝達のために人間が特定のものに名前をつけた、という構図もあるにしても、「言葉」が「もの」を作っているんだなとも感じるんですよね。
だけど、私にとってはいま「エモい」と言われている感情は言葉にできないことこそがそれらしくて一番しっくりくるので、そんな感情をひとつの単語で簡単に表せてしまうことが少し悲しい・寂しいと思ってしまうんです。
その裏にある感情ってきっと区切りがつけられないほどの大きさをもっているはずだなと。
「エモい」という言葉が生まれてから、言葉しないことで深まる感情があったことに気が付きました。
なんて、こんなことを今こうやって言語化することもまた自分の考えをここでとどまらせる可能性があるから皮肉なものです。
言語化ってすごく大切なことだけれど、実はこういう部分に罠が隠れていることでもあるなと思います。
そしてもちろんこれは全部私の好みで私の気持ちです。「エモい」という言葉が好きな人もいると思うしその表現ができて、言葉にできて嬉しいという人もいると思います。
ただ、自分はこれからも「エモい」瞬間が訪れたとき積極的に今自分が抱いている感情の名前を分からない振りをしていたいし、もし同じように分からない振りをし合える人が隣にいたら幸せだなと考えるばかりです。
美しい景色を見て「なんて言ったらいいんだろうね」って笑いあって、言葉にできない感情を共有していたいな。
ちなみに、タイトルはヨルシカの『夜行』という曲にある「空も言葉で出来てるんだ」という好きな歌詞から取らせていただきました。
読んで下さってありがとうございました☽︎𓂃 𓈒𓏸◌
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