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いちばん星

宵の涼しさに心を弾ませながらいつもの道を帰っていると、沈みゆく月と目が合いました。
一度家に帰ってから、せっかくなら沈むまで月を眺めていようと思い立って外に出たところ、もう沈みきってしまったか、山際の雲に隠れてしまったようでした。

雲が流れるまで待っていようかなと思ったのですが、雲は雲で山際のカーブが心地よくフィットして離れたくないようですから、結局月が何処に行ったのかは分からずじまいです。

わたしもまだ色々やることを残していたのですぐに帰ろうとしましたが、近所の人が電話をする声や虫の鳴き音、ちょうどわたしの好きなぐらいの空の色になんとなく引き留められて、月の左上にあったいちばん星を眺めることにしました。

月はわたしにとって幸せの象徴です。だから満月は満ち満ちた気持ちを表すし、三日月は小さな幸せを表します。昨日は誕生日というちょっとした節目であり、「小さな幸せを集めていこう」と改めて願い誓ったところで今日月に出会えたものですから、あの小さな幸せを追いかけて心に掴んでいようと思った矢先、見えなくなって少ししょげていました。

しかし、その隣のいちばん星を見ると、わたしの瞳を突き刺すかのように眩しい光を放っています。

思いました。「月も広い意味では星なのだから、あの星もきっと幸せの欠片だな」

人生はつらいことばかりです。
できる限り、どんな小さなことでも幸せを集めていなければ、きっと笑い方を忘れてしまう。小さな幸せを集めることができたら、少しは楽に生きられるだろう。そう考えて、どんな僅かな幸せも逃さないように生きようと決めていました。

だけれどひとつ勘違いしていたことがあったとすれば、その”小さな幸せ”は三日月ほどでもなく、あの星ほどの大きさくらいからもう集めるべき、集められる”小さな幸せ”だったのかもしれません。というか実際に、息を繋いでいくには微かすぎる幸せを糧にして生きた日が少なくはなかったように思います。

そう思うと、今目にしているものも幸せなのだな、わたしは今日も幸せを掴めたのだなと、月が沈んでしまったことも悲しくなくなりました。

星は綺麗です。月は見えない、だけれど星が瞬いている、そんな日も多いです。
「ああわたしは、こんな暗闇の中で、こんな小さなものを抱きしめていくのだな。」
少し虚しくもあり、幸せでした。
今までもきっとそうだったのだからこれからもそうして生きていくのでしょう。わたしはきっと、そうしてしまうのでしょう。


まだまだ見ていたいと願いながら、家に戻りました。

読んで下さってありがとうございました‪‪☽𓂃 𓈒𓏸◌‬

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