遠いどこかのネズミが僕にくれた幸せ
世の中、何がどこに繋がっているかわからない。
先日、そんなことを思わせてくれる夜があった。
仕事からの帰り道、僕は妻にメッセージを送る。
何か買って帰るものはあるか、と聞くのが習慣になっている。
その日は、翌日の朝食用に食パンを買ってきてほしいというオーダーだった。
スーパーで食パンを買うときは、いつも買うものを決めている。
だが、数日前にその食パンに異物が混入していたというニュースを目にした。なんと、どこかでネズミが入り込んでしまったとのこと。
どうにもその日はスーパーで食パンを買う気がしなかった。
そこで、駅ビルにあるパン屋で食パンを買おうと考えた。
しかし、閉店間際だったからか食パンは売り切れていた。
(もしかしたら僕と同じように、パン屋で焼いた食パンなら少し値は張るが異物混入のリスクは減るだろうと考えた人がいたのかもしれない。)
パン屋の食パンを買いたいが最寄駅まで帰ってきてしまった僕は、どうしたらよいか脳内検索した。
その結果、少し(15分ほど)歩いたところにあるスーパーはパン屋が併設されていることを思い出した。
雨も降ってないし軽い運動にもなると思い、駅からの道をのんびり歩き始めた。
幸か不幸か、僕は生まれてからずっと同じ辺りで暮らしている。
そんなわけで、不意に懐かしい人とばったり会うこともある。その夜もそうだった。
目指すスーパーへの道すがら、女性2人連れとすれ違った。そのうちの1人が、10年以上前につきあっていた女性だった。
ストレス障害と診断された25歳の春、僕のそばにいてくれた。彼氏彼女ではなくなって、それぞれの道を進むことになったが、今でもとても感謝している人だ。
どちらからともなく、「あれっ?」というような声をあげてお互いの存在に気づいた。
向こうは1人でなかったこともあり、交わした会話は
「久しぶり、元気?」
「うん、元気。そっちは?」
「うん、まぁ元気。」
という感じの短いもの。
たったそれだけの話なんだけれど、今も元気そうにしていた(もしかしたら元気じゃないかもしれないけれど)ことがなんだか嬉しかった。
短くない時間(たしか4年半ほど一緒にいたはず)をともに過ごした戦友が、元気に生きているのを確認したときの嬉しさ、とでもいうのだろうか。
そのあと、買い物を済ませて家に帰るまでの短いあいだだけ想い出に少し浸った。
気持ちが揺さぶられすぎることもなく、よい想い出にできていることを確認。
その日歩いた道は普段通らない道だ。
どこか遠くのパン工場で、ネズミがかわいそうな目にあってしまい、いろいろあった結果、不意に再開できたという話。
こういうのをバタフライエフェクトというのだろうか。
《バタフライエフェクト》
非常に小さな出来事が、最終的に予想もしなかったような大きな出来事につながること。
少し違うかな。
ただ、予想もしなかったという意味で、バタフライエフェクト感を個人的に感じた。
何がどこに繋がるかわからないから、人生は面白い。
そんなふうに感じられるようになった僕は、20代のあの頃より少し成長できている気がする。