透明に
それは僕自身を透明にしてくれるかどうか、全てそれらに照らし合わせて、ここ数日は選んでいる。
本を読む、展覧会を観る、散歩をする、針を進める。日々のそれらの最中、何かを満たすというよりは、内からサラサラと流し出していくような気がする時がある。ガラスの器の中身を空けていくようなイメージで、どんどん何も無くなっていく。
特に針を進める最中にそれを感じる事が多い。実はそう長くは続かない集中力で、数十分一区切りの運針の途中、僕の中身はどんどん流れ出て、仕上がる頃には空になる。空になるとはいえ、それは空虚なことではなくて、自然にあるべき様のような、元に戻ったような、そんな心持ち、感触がする。
塗って、染めて、色をつけていくことばかりを繰り返して、注力してきた気がする。きっとそれが必要な時期を過ごしていたのだろうけれど、今、真逆が極自然なことのように感じられる。やればやるほど色を失って、透けていく。そうさせてくれる物事を選んで、そうなるような方法を選ぶ。
中身が全部流れ出て、果ては透明な器の輪郭すら透けて見えなくなるまで、誰からもどこからも見えなくなるまで透明になるまで、針を進めていくのも心地良いかもしれない。透明になった挙句に見ることが出来るものにとても興味がある。
2022.9.10
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