古典文学の数学的一考察〜オオカミ少年編〜

イソップ寓話「オオカミ少年」をご存知の方は多いだろう。あるとき、羊飼いの少年が退屈のあまり「オオカミが出た」と嘘をついた。初めは少年を信用して駆けつけた村人も、少年がたびたび嘘をつくものだから終いには誰も信じなくなった。そして本当にオオカミが出たとき、少年の羊は全て喰われてしまうのだった。典型的な寓話であり、もちろん国語的には「嘘つきは身を滅ぼす」という教訓を読み取るのが正しかろう。

しかし、私は理系である。理系特有の視点から、この寓話を分析し直してみたいと思うのだ。注目したいのは、「たびたび」の部分。村人が少年を「嘘つき」と断定するにあたって複数回の「嘘」が必要であったと考えられるのではないか?

ベイズ統計

「嘘つき」の話に入る前に、必要な知識について確認しよう。

全事象Xの部分集合A,Bについて事象Aが起こるという条件のもとで、事象Bが起こる条件付き確率P(B│A)は次のように定義される。(¯BはBの補集合)

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条件設定

・嘘つき:少年が嘘つきであるという事象

 発見:村人が駆けつけたとき、オオカミが発見される事象

・村人は、少年を必ず嘘をつく嘘つきか、絶対に嘘をつかない正直者のどちらかだとみなす。

・村人は、P(嘘つき)≧0.5のとき駆けつけず、P(嘘つき)<0.5のとき駆けつけるものとする。

・P(¯発見│嘘つき)>P(¯発見│¯嘘つき)とする。

計算

少年がn回発言し、村人がオオカミを発見できなかった時点でのP(嘘つき|¯発見)をP{n}とし、新たに(n+1)回目のP(嘘つき)として採用する。

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これは以下のような漸化式で表せる。

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これを解くと、

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最後に駆けつけたのがn回目の場合、

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が成立する。P{0}について解くと、

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ここから、少年が嘘をつく前に嘘つきであった確率、すなわち逆に言えば少年のもともとの信頼度(1-P{0})が分かるのである。

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仏の顔も3度というし、n=3とすれば少年がいかに信頼されていたか分かる。

ところで、この村人のように数学的手法を用いて合理的に行動を選択することを、数理的意思決定と言う。本来は単に確率で判断せず、村人の利得を考慮して期待値で判断するべきであるが今回は簡単のため無視した。もし皆様も嘘をつきたいなら日頃から信頼される人物になってからにしよう。(Zengking)

Reference: ニュートン別冊 統計と確率 ベイズ統計編

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