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嘔吐

 最近非常に苛々している。理由は明確に、これでもかというほど克明に判っている。己の感情、思想、妄想、一切合切を吐き出してしまいたいのに、紡ぐ言葉が拙くて仕方ないからである。そして気分転換にと思って何気なく聞いた音楽の歌詞、メロディ、全てが圧倒的な完成度を見せつけてくるせいで、僕の根拠のない自負は滅茶苦茶にされてしまった。今迄はこれくらい自分でも書けるだろうと思っていたようなことでも、いざパソコン或いはノートに向かうと驚くほど何も出てこない。傷つくことから逃げ続けた所為で抒情も耽美も中途半端な儘、吐き出す文章擬きは支離滅裂の循環論法。頭がおかしくならない方がおかしい、つまり何にせよ狂っている。この場合の狂っているというのは勿論悪い意味であって、つまりそれは凡庸であるということだ。周囲との差異ゆえに虐げられてきた過去を持つ僕が、その自己表現の手段は平凡だというのは許されざる大悪、万死に値する精神的怠惰に他ならない。不図そのことに気付いてしまった僕は起死回生の一手としてこの文章を書いている。

 どうにかしてこの蟠りを嘔吐して仕舞わなければ僕はもう駄目だ、出来損ないの凡夫として蟻の如く生きていかなければならなくなる。(それは僕の人生に与えられた一つの宿命として、先験的に判り切っていることなのであって一切の反論は意味を持たない)ここまで書いて漸く神経の昂ぶりがほんの少しは解消された様に感じるが、それでも尚身を焼くような焦りと破壊的な憤懣は今にもはちきれんばかりに胸を鳴らしている。自壊に間に合わせるためには時間は意外と少ないのかもしれない。


 僕は理念を具体的行為に落とし込むことが元来得意ではないから、こうして漠然とした感情を未加工の儘ぶちまけることしか能がないというのがこれを書き終えた後の課題であろう。それが長らく放置されては結局の所この文章の意味が無くなって仕舞うから、次から次へと生じる課題を前に生き急がねばならないのである。
 

 さて、果たしてこの吐瀉物に滋味はあるであろうか?少なくとも自分にとっては大義あるものであると思いたい。そして願わくは、日常に埋没することに甘んじている貴方の重い重い瞼が開いて大粒の涙と鼻水を撒き散らし、それが飢えた僕たちの餌と為らんことを。

(Kyojin)

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