生きやすいとはどういうことか
最近、前に比べて生きやすくなったなと感じる。端的に言うとコミュニケーションにおいて自分の意思を伝えることに躊躇がなくなったということだ。今までいわゆる、"陰キャ?"要素が強かった自分は何か人に伝えるときに大きめの負荷を自分に対してかけていた。それは他人への恐れの裏返しだったのだと思う。
だが、今あまり負荷をかけなくてもいい状態にある。他人、ひいては”世間"に対する信頼感が増した結果なのだろうが、それと同時にひとつひとつの言葉が軽く今までの自分だったらここまで相手と互いに喋れたらめちゃくちゃ嬉しくて最高な1日だったな、と思うようなことがひとつの当たり前の日常になりつつある。(もちろん嬉しい、とか楽しいとか言う感情はあるが家に帰ってまで余韻に浸る頻度が減ったという感じかな、)
結局コミュニケーション総数が増えたせいで言葉の価値がインフレしてる感じなのかなとも思う。(このように感じている自分が少し残念だなと思うが、そう感じている、、ということなのでどうしようもない)
※エッセイか随筆かもよく分かりませんが、この記事を出すにあたってクオリティを気にしてたらいつまでたってもあげない(最初書いて推敲がだるくて進捗なしになる)ので書いてそのままあげてます。文法、言葉遣い、微妙に釣りっぽいタイトル、そして結論のない記事本文などについてはご容赦下さい。色々とご指摘等お待ちしてます。今日の線形代数中間にむけて徹夜します、おやすみ。(written by Ghibrin)
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