【産後の妻の支え方】「結果」以外に集中すると寝かしつけのストレスは激減する

現在進行形で子育てに悩みながらも、二児の父となり、多少なりとも経験値を積んだ私が、これから父親となる方に自分の経験を語る。

育児の最初にして最大の課題のひとつが寝かしつけ

赤ちゃんは自分では何もできないのだろう、という予測はしていたものの、まさかひとりで眠ることもできないとは思いもしなかった。

大きな声で泣いている。
なぜか?

お腹が空いている、ならばわかる。
暑かったり寒かったりする、ならばわかる。
さびしいとか、おむつが気持ち悪いとか、そういうことで泣くのも理解できる。

しかし、まさか眠くて泣くとは思いもしなかった。

「眠いなら、眠ったらいいじゃん。」

これが通用しないのが、赤ちゃんであり、育児だ。

最初から一番大変な課題が突きつけられるのはラッキーだぜ(と思うしかないぜ)。

寝かしつけの目的は寝かしつけることだけではない

寝かしつけのやり方は、抱っこをしたり、子守唄を歌ったり、ビニール袋をがさごそしてみたり、外に出てみたり、ベビーカーに乗せてみたり、諦めて数分放置してみたり、絵本を読んでみたり、色々ある。

やり方が色々ある、ということは、大抵うまくいかない、ということの裏返しでもある。

ここで「寝かしつけがうまくいく」とは何か、つまり「寝かしつけの目的は何か?」を考えてみたい。

「寝かしつけの目的は寝かしつけることでしょ?」という回答はぐうの音も出ないほど正しい。

しかし、それだけだとキツい。

「寝かしつけは寝かせるための行為」と考えると、寝かせることができなかった寝かしつけはすべて失敗となる。

これはキツい。

「寝かしつけは寝かせるための行為」と考えると、「少しでも早く、効率的に寝かせたら勝ち」という競争意識も湧いてくる。

育児をしていて思うのは「早く」とか「効率的に」とか「勝ち負け」とか、そういうビジネス的、スポーツ的な概念が生まれてきたら、大抵は「負け」だということ。

ここでの「負け」とは「ストレスフルで長続きしない」という意味である。「長続きしない」なんて思っても、育児には続けないという選択肢などないのだから、どうやったら無理なく続けられるかを考えたほうがいい。

寝かしつけの目的 その1 妻に姿勢を見せること

「自分対赤ちゃん」という構図だけで見ると精神的に追い込まれがちなので、妻を巻き込んで考えてみる。

すると、寝かしつけの目的のひとつに「妻に姿勢を見せる」というものが浮かぶと思う。

寝かしつけは始まると、終わりの見えない闘いである。運が良ければ10分で終わるが、2時間かけても泣き叫び続けられるだけになるかもしれない。

そんな大変な闘いに挑むこと自体が、妻へのメッセージになる(と思いたい)。

「おれはこの闘いのリングから降りないぜ!」という姿勢を見せるための行為だと思えば、寝かしつけはむしろ、長ければ長いほどよい。

寝かしつけの目的 その2 赤ちゃんに自分という存在を植えつける

自分がフルタイムで働いていて、妻が育休中という場合、帰宅後の自分がどれだけ熱心に子どもの面倒を見ようが、子どもにとっては24時間のうちの数時間に過ぎない。残酷なようだがそれが現実だ。

しかし、だからといって「じゃあ寝かしつけは母親のほうが安心できるから母親の仕事」としては、寝かしつけに付随する様々な仕事が妻に回ることになり、自分の存在はどんどん薄れていく。

育児は「おむつ替え」といっても、着替えやミルクがセットになりがち、というような「単品で注文したのにセットで届いた」ということがよく起きる。「寝かしつけ」も、大抵、おむつ替えやらミルクやらがセットになる。

だからこそ「これだけは妻にお願いしちゃおう」というものは、ひとつでも持たないほうがよい(唯一、授乳だけは男性には不可能だが、それもミルクで代用すれば似たようなことはできる。授乳ができない女性も立派に育児をしているのだ)。

ぜひ、寝かしつけから逃げずに、子どもに自分の存在を植えつける行為だと思って、やりたいところだ。

自分の存在を植えつける行為だと思えば、「早く寝かせないと失敗」という感情は湧いてこなくなる。

1時間かかったら1時間分、2時間かかったら2時間分、「自分の存在を植えつけてやったぜ!」と思えば、仮に眠らせること自体が失敗に終わったとしても、寝かしつけという行為自体は成功である。

寝かしつけの目的 その3 自分の心を鍛える

育児をしていると心がめためたに折られそうになることがある。

「父はいやだ、母がいい」という子どもの発言はその一例である。

大した理由もなく全力で拒絶される、という経験は、まともな環境にいる大人ならば得にくいものだが、育児をしているとしょっちゅう起こる。

妻だと眠るが自分だと眠らない、というのはまだ言葉を持たない赤子が「父はいやだ、母がいい」と言っているのと同じだ。

こういった発言に慣れておくことは、育児をするうえで必須だと思う。私が今、人前で「うんちぶりぶり小僧!」と子どもに呼ばれてもなんとも思わないのは、脱糞している事実がないのはもちろんのこと、寝かしつけで心を鍛えたためだと思っている。

まとめ

自分が一生懸命2時間抱っこし続けても眠らせることができなかったとき、妻が授乳(という名のドーピング、とすら呼びたくなる)によって5分で眠らせると、さすがに心が折れそうになる。

育児に自分は不要なのか、とすら思ってしまう。

しかし「育児から逃げない姿を2時間見せられた」「2時間分のおれを赤ちゃんに植えつけた」「おれの心も2時間分強くなった」と思えたら、その寝かしつけは成功である。

寝かしつけの方法も様々なものが紹介されているが、経験上、何をやっても寝ないときは寝ない。

どうか「眠らせられたか否か」という結果ばかりで自分を評価せず、また明日もめげずに寝かしつけに挑んでほしい。

最初の1〜2年で「父はいやだ、母がいい」という態度を取られ続けても、そこから逃げなければ、必ず「父がいい」という分野も出てくる。(ちなみに我が家では、私が抱っこで心が折れないことを知っているため、第一子も第二子も、抱っこに関しては私を指名する。妻より私のほうが好かれている、ということではなく、ただ抱っこに限っては私のほうが長くしてくれるから心地よいという程度のことだ。しかしそれでも自分の居場所があるというのは自信になるのだ。)そうなると育児も格段に楽しくなる。

その果実を得るためにも、寝かしつけという困難は、通らなければならない。そうなのだとしたら、前述のように目的のすりかえで、少しでも楽しく取り組んでもらいたいものだ。


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