戯言(本当に書きなぐり)
これはどちらかと言えば戯れでしょう。私をこんなことを言っても生きていかなくてはなりません。それはそれが正しいと思える環境に身を置くからであります。その他に理由はありません。
自由の夢を見ることも、自己の可能性を考えることもなく、もしも私が規律に完全に縛られていたらと思うのです。私がどのように生きて死ぬのかについて、あらかじめ正解が提示されていればと思うのです。私はそこから外れた人間であると見放されれば良いのにと思うのです。
そうしたら、きっと私は死ぬことが出来るから。
これは不憫な人間になりたいと言っているのではありません。世界が私を完全に不適合者であると判断し、世界に生きることを拒否してくれたらと思うのです。世界にそれに似た状況は存在していると思いますが、それは反対されています。そして正しい状況ではないと否定し、そこからの脱出を糾弾する人々がいます。彼等はきっと正しいのです。全方面に正しさを提示できるのかは分かりません。でも、それらに正しさは存在しているのです。
私はそこから逃げてしまいたいと思います。沢山の優しさと正しさの中で、それらに準拠した形で生きることから逃げてしまいたいと思います。
美しく生きる人々を私は尊敬しています。そして、そう生きることが出来ればと思います。しかし、私は既に醜い人間になってしまっています。そう言って欲しいと思っています。美しい人々に(私のいない)世界で幸せに生きて欲しいと思います。そうです。私は美しい生き方やそう生きようする美しい人々を目にしたくないと耳にしたくないと、醜い私はないているのです。
取返しが付くと人は言うでしょう。私は取り返したいと思いたくありません。希望を胸に生きていくことの難しさを知っています。全ては絶望だと勘違いをしたまま死んでいきたいと思っています。しかし、世界は生きていかなければ死ぬことが出来ません。私は自然に土に還りたいのです。これは私の願望だと言えるでしょう。
私は破綻しています。このように論理は飛躍し、所々に矛盾が見えます。
つまり、私は生きるのが面倒なのです。何もしないで生きていくことは出来ません。しかし、私は自分を殺すことが出来ません。包丁はあります。近くに海もあります。車を運転することも出来ます。死に方を考えることが出来ます。しかし、私が私を殺すことは犯罪でしょう。家族を傷つけ、家族に自殺した私の後を任せることになります。私が私を殺すことは、今現在において「悪いこと」です。私は悪いことはしません。それは私のために良くないからではなく、周囲の人間を私事に巻き込むのは、非道だと思うからです。
だから、私は自然に死ぬ瞬間が早く来ればよいのにと思います。
それは、誰かによる殺人ではありません。事故でもありません。若くして病気をすることでもありません。本当に、自然に、死ぬのを待っています。これからの人生はその予定調和に過ぎないでしょう。ただ待つための時間のために私は生きなければなりません。それを彩ることは、きっと絶望を誤魔化すことが出来るでしょう。一瞬の幸せを、幸せだと言えるようになれば、きっと死はやってくるでしょう。その一瞬を彩るために。
これらは戯言でしょう。結局はこうなるのです。私は恐らく人間ですから。グルグルとその場で足踏みをして、そこで惰眠を貪るのです。私は恐らく人間ですから。
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