シャカシャカ抹茶
たまに抹茶を飲んでいる。ちょっとおいしそうなお菓子を入手した時とか、何かの作業のために気合を入れるときとかに、珈琲を淹れる、なんて人は多いと思う。気分を作るために、ちょっと手間のかかることするわけだ。私はその感覚で抹茶を飲んでいる。
抹茶を飲むようになったきっかけは、去年の9月の終わりに遡る。上司が人事に怒られないよう夏季休暇を取らされた私は、近場だがいく機会のなかったところを見て回っていて、浜離宮庭園を訪れていた。
浜離宮庭園は、江戸時代の殿様の巨大な鷹狩用の庭のようなところで、獲物の水鳥を寄せて鷹に捕まえさせるための池や、鷹狩の野良姿のままでも休める離れなどがある。迎賓館的な役割もあったようだ。
そこの迎賓館的な役割を果たしていた建物が、現在は茶屋のようになっていた。優雅な気分を味わいたく、抹茶をいただいてみた。お菓子はどら焼きだ。手づかみで食べるわけにもいかず、注意深く4等分した。
茶屋からは大都会のビルも見えるが、広大な敷地から先で空と海とのつながりを感じることができる素晴らしい空間であった。しっかりとビルも巻き込んで景観を作っている。この景色の中でいただく抹茶とどら焼きがおいしい。
歩き回って渇いた喉を抹茶の濃さが落ち着かせてくれる。がぶ飲みは自然と抑制されてゆったりと味わうことができた。抹茶の濃さは、お菓子を流し込むものではなく、口の中でお菓子と混ざり合って新しい味わいを作ってくれるものであった。ご飯とおかずを一緒に食べて味を作る、「口内調味」が和食の特徴らしいが、抹茶の味わい方もそうかもしれない。お米とは存在感が違うが。
想像以上に優雅な気持ちになった私は、この気分を家でも味わいたくなり、御用達のスーパー、「サミット」で抹茶を買ってみた。「抹茶ラテ」に最適、と書いてあるがまあいいだろう。電車内で読んだ日経スタイルによれば、抹茶椀と茶筅は、ご飯茶碗と小さい泡だて器で代用可能らしい。これで優雅な日々がやってくるぞ!
家に帰って早速挑戦してみた。茶杓どころかティースプーンすらないので、ヨーグルトを食べるスプーンで抹茶をひとすくいし、ごはん茶碗にいれる。タイガーのケトルでお湯を注いで泡だて器で混ぜる。チャカチャカチャカ…。混ざったものをズルズルと飲む。うーむ、これは違う…そもそも抹茶を飲むことだけが目的ではなく、抹茶を飲むという行為がもたらす優雅な気分が目的であったのだ。優雅な気分には装置が必要で、景観はどうにもならない以上、道具くらいはどうにかしなければならない。
翌日に小石川後楽園でも抹茶をいただいた私は、道具を入手せねばという思いを一層強くした。帰省の折、母にその話をしたところ、母から茶杓、茶筅、抹茶椀を譲ってもらえることになった。厳重に梱包して持ち帰り、以来機会を作っては味わっている。泡だて器のチャカチャカが、茶筅のシャカシャカに変わると気分も全く違う。きんつばなんぞあれば自宅のワンルームも茶室に様変わりである。狭いのもいいものだ。
その後、調子に乗った私は茶道の入門ムックなど読んでみたが、あまりの決まりごとの多さに呆然となり、我流のシャカシャカ抹茶ライフを過ごしている。