アイヌ語疑問文について:最近考えたこと・話したこと
北大言語学サークルのfugashiです。
アイヌ語疑問文は、以下の疑問点に示すように特殊な構造をしています。アイヌ語輪読会では、ここ数回で統語に関係する内容を扱っていたのですが、その際にアイヌ語疑問文の構造について疑問が生じたので、皆さんの意見もお聞きしたくまとめました。
疑問点
tanpe hemanta an.
*tanpe hemanta ne.
tanpe hemanta ne ruwe an.
アイヌ語疑問文では、上に挙げたように、”あれは何か?”という疑問文を作る際に二項動詞のコピュラであるneを用いず、一項動詞an "ある、いる"を用います。動詞の必要とする項数と実際の項数が一致しないようなこの文章がなぜ成り立つのか、というのが疑問点の一つ目です。また、二つ目の疑問点として、2の文が非文であるにもかかわらず、3のような文が許容されるのはなぜか、というのものがあります。
参考:佐藤(2008)の説明
まず、輪読会で使用している佐藤(2008)の解釈についてまとめます。
佐藤(2008:140)は、「これらの事実すべてを簡単に説明することはいまのところできない。今後の研究をまつところが大きい」としつつも、以下のように説明を試みています。
neが補語として取る項は、主語の性質を適切に叙述するものであり、neを用いたコピュラ文は主語と補語の間に等価的な関係を要求するものである。であるから、*tanpe hemanta neは成り立たない。
一方、tanpe hemanta anについて、hemantaは存在動詞anのとる項ではなく、主語と同格の補語のような働きをする。これは、数詞にもみられるような文構造である。
cf) katkemat sinep as wa an. "奥さんが一人立っている。"文3は、tanpe [hemanta ne ruwe] anのような構造をとっており、tanpeと[hemanta ne ruwe]は同格である。ここでコピュラneが用いられるのは、neの意味上の主語があくまでruwe"こと"であり、具体的な意味を持たないため、hemantaによる叙述と衝突しないためである。
私たちの解釈・試案
アイヌ語輪読会の中で、私たちは、佐藤(2008)の解釈を参考にしながら、文1〜3についての解釈を試みました。
試案1 ruweの関係節化
佐藤(2008)は、tanpe hemanta an. について、hemantaは副詞的に働くもので、tanpeと同格である、という説明をしました。ここから類推を働かせると、tanpe hemanta ne ruwe an. のhemanta ne ruweはanの項であるtanpeと同格の副詞句である、と考えることができそうです。すると、hemanta ne ruwe という部分の構造について考えることになるのですが、私はこれは*ruwe hemanta neの主語ruweが関係節化を受けているのではないかと思いました(注1)。そう考えると、neが形態的に取る項も充足されますし、tanpe hemanta an. の解釈と対応が取れていて綺麗です。
しかし、佐藤(2008)には名詞化辞ruweは関係節化を受けない、とあり、よってruweの特徴と衝突します。ここについて、何かしら解決を試みるとすれば、ruweが名詞ru "跡"の所属形が文法化したものであることは明らかですから、通時変化を想定すると関係節化を受けることができるruweを想定する蓋然性は低くないように思える、ということでしょうか。
そもそも、この解釈の上ではruweは名詞化辞の役割を果たしていませんから、関係節化を受けることができる、一般の名詞所属形としてruwe "事"を想定することもできると思います。
試案2 主要部内在型関係節の想定
[tanpe hemanta ne] ruwe an. と解釈することもできそうです。この場合、名詞化辞によってtanpe hemanta ne. という文章が名詞化され、それがanの取る項になっています。[節] ruweについては、主要部内在型関係節の一つということができそうです。この解釈をすると、tanpe hemanta an. の文章とは別の理由からanの取る項の問題が解決されます。すなわち、anはruweのみを項として取っている、ということです。
この解釈の問題点は、関係節のtanpe hemanta ne がおそらく非文であることです。
tanpe hemanta ne. は先に述べたように疑問文としては正しくなく、また平叙文だとしてもhemantaは疑問文にのみ用いる形式であるため矛盾します(平叙文では不定疑問詞としてnepが用いられます)。
この問題点については、tanpe nep ne ruwe an. あるいはtanpe nep ne. "これは何かである。"が成立する場合、そこからの類推である、とすることで解決できるかもしれません。
補足
注
Bugaeva(2014:49)も指摘しているように、他動詞主語の関係節化の例は稀ですから、hemanta ruwe neを想定するのが妥当かもしれません。いずれにしてもあまり話の流れに関係ないので、簡単のために意味上の主語との一致を考えてruwe hemanta neが関係節化を受けた、と書いています。
参考文献
佐藤知己,『アイヌ語文法の基礎』,大学書林, 2008.
Bugaeva Anna, 「北海道南部のアイヌ語」, 2014.
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