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80年代デジタル黎明期から半世紀のクロニクル
1974年 第2次ベビーブーム
競争に勝つことが正義だった時代
出来事: 昭和49年(1974年)は、第1次オイルショックの影響が続く中、80年代には日本経済が急速に成長し、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれるバブル景気を迎え、学校でも職場でも過当競争が繰り広げられます。
・現在の50歳が誕生した年
・現在の70歳以降が大学生から社会人
当時の私はパソコン少年時代
北海道札幌生まれ
芸術家の母と技術者の父の影響を受け、ものづくりに興味を持つ
プログラミング、ゲーム開発に没頭
美術大学で上京を目指す
1995年 寝る間を惜しんで24時間闘う時代
上京したら世の中は深刻な不況だった
出来事: 1995年(平成7年)は、阪神淡路大震災やオウム真理教事件などの社会不安の中、Windows95の発売やインターネットの普及によりマルチメディア時代に突入。90年代のバブル崩壊後は「失われた30年」と呼ばれ、長期デフレと就職氷河期に直面しました。
・現在の30歳が誕生した年
・現在の50歳以降が大学生から社会人
私の20代はマルチメディア時代
上京し、美術大学に入学
インターネット黎明期にテレビ局でウェブデザイナーをスタート
米国ソフトウェア企業と国内音響メーカーからの創作支援
デザインユニット、FLASHクリエイター、メディアアート、VJで注目を浴びる
メディア掲載、インタビュー取材、カンファレンス講演、寄稿等
2003年 競走社会で闘い続け、
雇用・経済・社会システムが大きく変化した時代
出来事: 2003年(平成15年)はITバブル崩壊の余波が続く中、2008年のリーマンショックによる世界的な金融危機、2011年東日本大震災で未曾有の被害を経験しました。「痛みを伴う構造改革」として雇用や社会システムの大きな変革も見られた時期でした。
・2005年に現在の20歳が誕生した年
・現在の40歳以降が大学生から社会人
私の30代はウェブディレクター時代
法人企業の設立に参画
ウェブディレクターとしてFLASHを中心としたクリエイティブ活動で成功を収める
受賞歴、著書等
心身の疲弊を経験し、働き方を見直す
2012年 自然災害が頻繁し深刻な被害に
これまでの常識をすべて改める時代へ
出来事: 北海道地震、熊本地震、能登地震、豪雨被害、新型コロナウイルスの蔓延など災害が頻発。その間、令和への改元や増税が行われ、私たちの生活や価値観に大きな影響を与えました。
・2015年に現在の10歳が誕生した年
・現在の30歳以降が大学生から社会人
私の40代はテクニカルディレクター時代
北海道に拠点を移し、札幌支社を設立
経営を学び直し
テクニカルディレクターとしてマイクロEC事業に取り組む
社内の情報システムを担当
EC、DX、AI等、時代の変化に適応しながら、新たな挑戦を続けている。
※ ここからは長文プロフィールになります。
お時間のある方のみお読みください。
1974年〜 パソコン少年時代
昭和49年(1974年)、北海道札幌で生まれました。父は通信技術者、母は美術家という、技術と芸術の両方に触れられる環境で育ちました。
コンピューターとの出会い
幼い頃から電子機器に興味があり、未来への憧れを抱いていました。ゲームウォッチやプラモデルで遊ぶのが大好きで、特に絵を描くことが好きでした。小学生の頃は、オリジナルのボードゲームをノートに描いて、友達と遊ぶのが日課でした。
そんな中、小学生時代に任天堂ファミリーコンピュータと、父のNECパーソナルコンピュータに出会いました。これらのコンピューターは、私の人生に大きな影響を与えてくれました。
プログラミングとの出会い
8色のドット絵を描いたり、FM音源で音楽を作ったり、BASIC言語を使ってゲームを作ったりと、デジタルの世界に夢中になりました。
(小学校では合唱部、中学校では放送部と応援団、高校では柔道部と、様々な活動に積極的に参加しました。)
知的好奇心の高まり
幼少期はまだバブルの中、都会への強い憧れを抱いていた私は、高校卒業後、東京にある美術大学への進学を希望しました。
当時、多くの学生が大学受験に挑戦していた中で、私は残念ながら思うような結果を得ることができず、2年間の浪人生活を送ることになりました。
この経験は決して無駄ではありませんでした。浪人時代は、デザインをきっかけに歴史やポストモダニズムについて深く学ぶことができ、将来の目標をより明確にする貴重な時間となりました。
特に、デザイン史の研究で知られる柏木博氏の著書に出会い、強い影響を受けました。柏木氏の作品は、私にとって美術大学への進学をさらに強く決意させる原動力となりました。
1995年~ 20代 大学生・マルチメディア時代
平成7年(1995年)美術大学への進学を目指した日々は、知的好奇心や努力、忍耐の大切さを教えてくれ、目標を達成したいという強い気持ちを持つようになりました。
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ウェブデザイナーとしてのスタート
平成7年(1995年)、阪神淡路大震災やオウム真理教事件が社会に大きな影響を与えていた時代、Windows 95の登場とともにインターネットの可能性を感じ、大学在学中にテレビ局でウェブデザイナーとして働き始めました。
マルチメディア時代の到来
ウェブデザイン以外にも、さまざまな分野でクリエイティブな経験を積みました。
デザイン会社で雑誌や書籍のデザイン
映像機器メーカーでCD-ROMの制作
テレビ番組の小道具制作と舞台設営
空港の大型装飾設営
映像制作とVJ活動
印刷会社と学校パンフレット制作
新しい表現方法を模索
メディアアートにも強い関心を持ち、新しい表現方法に挑戦しました。
大学内にテレビ会議システムを導入
大学ドメインを取得して在学生向けポータルサイトを制作
大学内にインターネットカフェを開設
大学のネットワークを活用してパソコン通信
卒業制作では、MIDIを使った音声を映像に変換するインターフェースを制作
就職氷河期
平成11年(1999年)3月、大学を卒業した私は、就職活動に苦労しました。就職氷河期と呼ばれる厳しい時代で、多くの企業が採用を絞っていました。
大学講師からは航空会社のデジタル部署を紹介されましたが、当時はクリエイティブな仕事に強い興味があり、自分の好きなことを追求できる仕事に就きたいと思っていました。
自由に挑戦できる時間を優先
そこで、安定した収入よりも、自分の好きなことに挑戦できる時間を優先することにしました。そして、デザイン会社の非正規社員として働く道を選びました。
デザインユニットとしての活動
当時、90年代のバンドブームのように、デザインユニットも注目を集めていました。 多くの雑誌やウェブデザイン誌に取り上げられ、様々なメディアで活躍する機会に恵まれました。
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(FURIFURI CO.)
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FLASHクリエイターとしての活動
日本でもブロードバンドが普及し始めた頃、新しい技術が次々と生まれ、活気に満ち溢れていました。その中で、私はソフトウェアの製品ベータテスターとして、最先端の技術に触れる貴重な経験を積むことができました。
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アパレルブランドのウェブサイト制作や店舗用の映像、アーケードゲームや家庭用ゲームなど、エンターテイメント性の高いプロジェクトに多く携わりました。
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さらに、ソフトウェア製品に関するカンファレンスで講演を行う機会にも恵まれ、活動の幅を広げていきました。
VJとして
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この頃、昼はデザイナーとして働きながら、夜はVJとしてクラブ、野外レイブ、ライブハウス、ホールなど、東京を中心に地方遠征も行い、本格的に活動していました。
映像クリエイターとしての活動
テクノレーベルのプロモーションビデオ制作がきっかけとなり、作品は高い評価を受け、イギリスの展覧会で毎年紹介されるようになりました。
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国内では茨城や京都での展覧会、音楽専門番組からの取材など、精力的に活動していました。
メディアアーティストとしての活動
音楽機器メーカーの支援を受け、体に装着するMIDI機器を使ったダンスとVJパフォーマンスを渋谷駅前ビルで披露しました。音楽、映像、身体表現を融合させたパフォーマンスは、多くの方々に楽しんでいただけました。
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また、渋谷のクラブで、当時まだ一般的ではなかったコメント投稿機能付きのインタラクティブ映像を展示したり、プロジェクションマッピングの先駆けとなるインスタレーションで賞を受賞したりするなど、常に新しい表現に挑戦してきました。
2003年~ 30代 転職・ウェブディレクター時代
人生の岐路
20代は経済的に苦労する時期もありましたが、代わりに自由に活動し、多くの経験を積むことができました。これらの経験は、私にとってかけがえのない財産となっています。
20代後半には、将来について真剣に考えるようになりました。大学から研究職の誘いもありましたが、ウェブ業界で出会った友人から紹介された、デジタルとファッションを融合させた新しいビジネスに魅力を感じ、平成15年(2003年)に法人設立に参画することを決意しました。
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ウェブディレクターとして
ここからウェブディレクターとして、幅広い業務に携わってきました。当時は、現在ほど分業制度ではなかったため、少人数で様々な役割を担っていました。
素材がない場合は、ゼロから作り出すことを大切にしていました。これらの経験を通して、様々なスキルを習得し、クリエイティブな仕事への理解を深めてきました。
企画立案、書類作成
キャスティング交渉
ロケ撮影、物撮り、小道具レンタル
アニメーション、動画編集
イベントの映像制作
ラジオ番組企画、ブログパーツ企画
取材、インタビュー、原稿ライティング
プログラミング、システム構築
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カメラワークは実写をビデオ撮影して指示
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著名人インタビューのロケハン
インタビュアーの手配と原稿作成
受賞
当時、最先端の技術であったFLASHサイト制作で、数々の素晴らしい作品を生み出し、高い評価を得ました。
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作曲:コーネリアス
担当したクライアント
これまで、私は幅広いお客様向けの商品を担当してきました。
国内広告代理店
外資広告代理店
CM制作会社
アパレル
ビール、タバコ、高級車、飲料
携帯電話
教育、学校
アニメ番組、映画
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イラスト:デビルロボッツ
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書籍
また、共著でウェブデザインの制作プロセスに関する書籍も執筆しました。
転機:ガラケーからスマホの時代へ
しかし、平成20年(2008年)のリーマンショック後、スマートフォンが発売され、ガラケーサイトやFLASHサイトの需要は減退し、レスポンシブルなウェブサイトの需要が高まりました。
同時に、ウェブ制作の分業化が進み、より低コストな海外への発注が増加するなど、業界は大きな変化の波にさらされました。
ワークライフバランスとノマドワーク
平成22年(2010年)頃には、無理な働き方が祟り、心身ともに疲弊してしまいました。この経験を通して、ワークライフバランスの大切さと家族や心身の健康の重要性を痛感しました。
そして、ノマドワークという、どこにいてもインターネットがあれば働ける自由な働き方を選択したことで、心身のバランスを取り戻すことができました。
2012年~ 40代 テクニカルディレクター時代
札幌オフィス
また、平成23年(2011年)の東日本大震災を契機に、事業所を分散化する必要性を感じ、平成24年(2012年)札幌にコーディング専門の会社を設立しました。
地方での雇用創出とIT産業の活性化を目指しましたが、地方におけるビジネスの難しさに直面し、当初の売上目標を達成することは困難となり、社員の離職も相次ぎました。
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再び学び直し
そこで、北海道の企業経営者が集まる同友会に加入し、地元の経営者から経営にまつわる事例を学び始めます。
また、同業他社とのコミュニティにも積極的に参加することで、地域社会との繋がりを深め、新たな道を模索しました。
この頃より、法律や税務に関する知識も深めていきました。
ECサイト
月2回の東京出張を続けながら、平成29年(2017年)からは新たな挑戦としてShopifyに注力しました。
アパレルのECサイト立ち上げプロジェクトに参画し、Shopifyを用いたECサイト構築だけでなく、倉庫に赴き注文から配送までの作業手順を確認するなど、現場主義を徹底しました。
さらに、課題解決のためのアプリケーションを独自開発するなど、クライアントのビジネスに深く関わることで、売上向上と業務効率化に貢献しました。
これまで20社以上のEC立ち上げに関わり、運用課題をヒアリングし、継続的なサポートを実施しています。この経験をきっかけに、Shopify制作界隈のコミュニティにも積極的に参加し、EC事業及び小売事業の知見を深めてきました。
継続的なヒアリングとサポート
全国の同業他社との交流
オンライン勉強会
SNSやnoteでの情報発信
コロナ禍でリモートワークを推進
令和2年(2020年)のコロナ禍においては、いち早くリモートワークを推進し、円滑な業務遂行のための環境整備を行いました。
就業規則の改定
オフィス縮小
勤怠管理のデジタル化
リモートデスクトップ導入
音声チャットスペース設置
道外在住者の採用
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業務効率化と作業工数の可視化
令和5年(2023年)には札幌支社の業務効率化と作業工程の可視化を目的としたデジタルトランスフォーメーションを主導しました。
Google Workspaceの導入
セキュリティ向上
ファイルサーバのクラウド化
捺印のクラウド化
勤怠アプリ開発
案件とタスクのデータ化
日報の簡易化とデータ化
AIの試験的導入
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情報システム担当
令和6年(2024年)には東京本社の情報システム担当に就任し、セキュリティ向上とIT環境の整備・運用に尽力しています。
セキュリティアクション宣言、セキュリティポリシー作成
IT補助金申請担当
Google Workspaceの移行と運用管理
クラウドサーバー移行計画
生成AIの導入
また、札幌支社ではコーディング作業のAIアシスタントを個人的に本格導入するなど、常に最新技術の活用を模索し、その知見を発信しています。
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最後に
現在は、東京本社のテクニカルディレクターを兼務しながら、ECサイト制作を中心に、多岐にわたるプロジェクトを牽引しています。
1980年代のデジタル黎明期から現在に至るまで約50年、私は常に時代の最先端を走り続けるデジタルクリエイターでありたいという強い思いを持ち続けてきました。Web制作、映像制作、プログラミング、メディアアート、DX推進、AI推進など、多岐にわたるデジタル分野で専門性を発揮し、常に新しい技術や表現方法を追求しています。
幾度かの挫折を経験しましたが、その度に立ち上がり、前向きに新たな挑戦を続けてきました。困難な状況にも屈することなく、常に未来を見据え、創造性を活かして社会に貢献したいと考えています。