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はじまりのことば

生きるための「知の道具」をつくろう

太古から人類は、書き歌い踊り描くことで自らを統治してきました。家族や仲間を安全に守り、コミュニティーを発展させてきました。これらの振る舞いを哲学者ルジャンドルは「テキスト」と呼びました。テキスト=文章とは書類やデータという乾いたものではない。もっと身体性を帯びた舞い、生の躍動だったのです。そして、言霊というように、言葉には魂が宿っています。テキストには、身体があり、魂がある。テキストとは人間そのもの、生きることそのものだったのです。ぼくたちは、文章の影響力、言葉の魅力をもう一度見直したいと思います。

では、ORDINARY でどんな文章をまとめていきたいのか。ただの情報や知識ではなく、使える道具、いわゆる方法とかコツのような具体的に自分の生活に取り入れられる智恵に惹かれます。フーコーの『知の考古学』を読んでいたときに「知の道具箱」という言葉が浮かんできました。 それは、一言でいえば「方法は思想であり、その人の生き方を表現するものだ」ということに気づいたのです。それまでは「方法」という言葉を、マニュアルのような無味乾燥なものだと勘違いしていたのです。本当は、「テキスト」と同じように、「方法」もその人そのもの、人生そのものだったのです。

思えば、ぼくが今までやってきた活動のすべては、道具をつくることでした。18歳で人生最初の壁につきあたったとき、それを乗り越える道具を探しました。本から探したり、先人たちに聞きに行きました。どうしても見つからないときは、自分で道具をつくりました。その道具を自分の人生で試してみる。使えたもの、そうでないもの、いろいろありました。使えたものだけを、最初は自分の備忘録として本にまとめました。それを出版したら、喜んでくれる人たちが何万人も現れました。もっとまとめてくれ、と言われました。しかしぼくは知識の人ではなく、 行動の人です。自分で試してみて本当に納得したことしか、責任をもっておすすめできません。 道具をつくりまとめるのに、時間がかかるのです。

「好きを活かして自分らしく生きる」ということ。このテーマで 25 歳で独立してから 9 年間、自分の身体で生活実験をしてきました。好きなことで食べていけるのか、表現や社会貢献で生活できるのか。結論としては、なんとかできるのではないかという方向でまとまってきました。そういう生き方のための「知の道具」が少しですが、そろってきました。でも、もっと知りたい。どうすれば、人間と地球にやさしく、生きやすい世の中になるのか。これからも探求は続きます。ぼくの人生ひとつだけで実験するのでは、時間がかかるし、サンプルが少ない。同じような志をもった人たちが集まって、みんなで集合知をつくっていきたいと思いました。

「好きを活かして自分らしく生きる」そんな表現者たちがつくる「知の道具箱」 が ORDINARY です。その道具を、どうぞみんなでシェアしたい。自由に使ってくれれば、それが喜びです。はさみやトンカチなど、手で使う道具はなかなか貸してあげられません。大切な道具を貸してしまったら、自分が使えなくなってしまうから。その点、「知の道具」なら、いくらシェアしても大丈夫。みんなが同時に使うことだってできます。分けても分けてもなくならない。そして喜ぶ人だけがどんどん増えていくんです。好きなことをやり、その才能をまわりのために活かす人たちがあふれる。そんな世界があたりまえになったらどんな風になるでしょう。想像するとにんまりしてきませんか。

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ORDINARY
みんなでZINEつくりたいなぁ。