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Diaryというか心象?_最近のことを少々

どこからともなく金木犀の香りがほんのりしてくる、そんな季節になってきた。ようやく涼しくなってきて、さすがの夏も退散してくれたようだ。

ちょっと最近、ネタ切れです。
というか、単純に仕事が忙しいし、文章の出力もそっちに全力投球しないといけない感じで、noteで遊んでる時間が夏よりもなくなってしまったという方が正しいだろうか。

いまもよく分からない報告書をずっと作成している。明日の午前中までに完成させないといけないのだけれど、前年度、前々年度の報告書とかを眺めていると、こうも毎年同じようなことばかり書いているのって本当に無駄な作業だな、なんて思う。いやでもこういうことでお給料をもらっているんだから、文句を言っていはいけないし、事業としてお金出してもらってやってるんだから、その成果報告はしないといけない。資料を眺めながら、なにか違うことを付け足せないかなぁと考える。作文は好きな方だけど、こういう作文は嫌いだ。

こんなところで、ぶつくさ言ってないで、早く仕事しなさいって話しである。今日は、昼頃には、選挙の投票に行って、買い物をちょっとして帰ってから、また作業に戻る予定である。

現在進行形でいろんなことを感じているときに、すらすらと言葉になるときと、そうでないときがある。その違いがなんなのかはいまだによく分かっていない。とはいえ、なんとなくだけど、文章にできるようなところまで気持ちや感情がまだ追いついていないか、確定していないかのどちらかなのだろうと思う。

実は何度か書いてみようと試みてはいるのだけれど、なんとなく違うなぁと思ってボツにしている記事が3、4本ある。それもすべて書き切ることができなかった。途中で嫌になってポイって感じである。とにかくまだこの感情と正面から向き合いたくないか、自覚したくないのだろう。

ふわふわした状態をそのまふわふわと表現できればよいのだろうけれど、そんな技量もない。言霊とまではいわないけれど、それでもこの曖昧な感情を言葉にした瞬間に、実際のもの以上になってしまう気がしてそれが怖い。それに現時点での判断が固定化されてしまうのも避けたい。もっと、ちゃんと見てからじゃないと何ひとつ判断したくない。その位には、過去の出来事から少しは学べていると思いたい。

片方からみて美しくても、その裏面をみたときに、ドン引きするなんてことはよくあることだ。その裏面をみても引かずに済むってわかるまでは、GOサインなんてとてもじゃないけど出せない。だからじっくり観察する。けど観察できる範囲は限られるので、どこかのタイミングでもう一歩踏み出す必要がある。だけど、いま本当にそんなことしている場合なの?逃げてない?って突っ込む自分が他方でいる。たしかに、そんなことよりももっと解決したり、時間を費やすべきことはたくさんある。それに適度に笑っていられるのは、それだけ遠くて、どうでもいい関係だからかもしれない。ひとたび感情が強くなっていけば、ただただ笑ってるだけではいられなくなるはずだから。

解決したいのに、それが自分だけでコントロールできない事柄になってくると、ストレスが大きい。適度に発散しつつ生きているけれど、それでも最近、悪夢をよくみる笑
寝覚めが悪いから、ほんと嫌になる。

他人に自分の人生を邪魔されているって感じたことありますか。
私はこんなに邪魔されていると感じたのははじめてです。


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