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ファッションデザインの仕事①

ファッションデザインという行為は、「デザイン」ではあるのだが、プロダクトのデザインやデザイン思考における「デザイン」とはまた異なる性質を持っている。
だからこそ、まだ一般に認知されていない別の可能性がファションデザインにあるのではないか。それを探っていきたい。


ファッション"デザイン"

21世紀のイノベーション界隈では、デザイン思考やアート思考が隆盛を極め、多様な理論が誕生した。
その結果、デザイナーの仕事の範囲やデザインの概念は広がり、(あまりこういう言い方はしたくないが)地位も向上した。
しかし、その中にファッションはどれくらい意識されているだろうか?

「なんとなく仲間外れ」のファッション

衣服を作って発表することをファッション"デザイン"と言いながらも、デザイン思考などに代表されるような「デザイン」とはどこか性格が異なるイメージを持たれているのが現状ではないか。いわゆる「デザイン」業界からなんとなく仲間外れのイメージがある。
さらに、「外見より中身」という定型文に代表されるように、あるいは資本主義や消費文化の代表として批判されるように、そもそもファッションは下に見られがちなところがある。

「なんとなく仲間外れ」の原因は主に2つあると考えている。

1.価値の二重性

衣服はあらゆる人類が身に着けるものである(使用価値)ために、パリやニューヨーク、ミラノなどで発表されるコレクションが突飛なものとして目に映り(鑑賞価値)、その落差に耐えられないことが挙げられるのだと思う。

2.概念化が進んでいない

アート的な鑑賞物として文化に根付いているわけでもないし、民藝のように「用の美」として美しさの水準で概念化されているわけでもない。ファッションの周りにはステートメントや批評などの複雑な言語は比較的少なく、どのような作業をしているのか一般に向けて明示的にもなっていない。

この使用価値と鑑賞価値の結びにこそファッションはあるのだが、今回はそれを踏まえて、ファッションにおける美的水準での概念化ではなく、まずはファッションデザインの作業を概念化していきたい。

Fashionの意味

ファッションデザインとはどのような作業のことを指し示すのか。ここではwrittenafterwards代表の山縣良和が主に提唱している「人間像の創造」ということを中心に記述していく。

まずfashionとは、直訳すれば「流行」や「流儀」などであり、衣服を示す言葉ではない。社会的な現象を大いに含意している概念であり、物質としての衣服という位相にあるのではなく、生活の様式やそれに関連する精神性などのようにレイヤーが異なる。

ではファッションデザインとは社会現象や生活様式をデザインする行為なのか?
おそらく半分はYesだが、もう半分にはやはり「服」の感触がほしいところだ。

人間をデザインする

ファッションの原義が流行にあるからといって、ファッションという言葉に内包されている服のニュアンスが消えるわけではない。

マクルーハンが「第二の皮膚」と表現したように、鷲田清一が「心の産毛」と表現したように、服は身体に一番近いメディアであり、身体イメージそのものでもある。
身体イメージが持つ高い流動性のために、変化しやすい感情を敏感に感じ取り、流行・トレンドとして人々の目に映る。
流動性の高さ、身体性の強さは、ファッションが衣服というメディアによって”どのような人間なのか”というイメージを形成するものであることを示す。
第一印象が重要だからと営業マンが身なりを整えるのも、ライブでミュージシャンがジャージを着るのも、初デートで普段より少し綺麗な格好をするのも、どういう人間なのか、そのイメージを伝えている。

スタバのカップも人間像

ファッションは身体へのアプローチによって”どのような人間なのか”ということを表現しなければならないし、身に纏うということはつねにすでに人間像を表してしまっている。
思想や記憶のように長い時間の幅で通底する何か、あるいは、ついさっき見て発見した、短い時間の幅で体験している何か。
「どのような人間なのか」という問いには非常に多様な情報が含まれており、ファッションはそれを表現することを課せられている。

例えば人と待ち合わせをする時に、その人はスタバのコーヒーを持って待っているのか、スマホを眺めながら待っているのか、地面のブロックの数を数えて待っているのか。
コーヒーカップやスマホもそれぞれ人間像を表すファッションアイテムだし、ブロックを数える姿勢もファッションアティチュードの一つだ。

逆に、家電製品やプロダクトにおいてペルソナを設定しているから、あるいは人がその写真に写っているからそれはファッション表現なのかというとそこには微妙な違いがあると考えている。
人間よりもプロダクトを表現しているのであり、人間との関係性が見えて初めて人間像としての表現へとなっていく。
とはいえ、明確な線を引くのは難しいだろう。視点の取り方で変わる部分もある。

ファッションデザイナーの仕事

ファッションデザインが人間像を作ることであれば、ファッションデザイナーは何をしているかといえば、新しい人間像を創造している
これからの時代はこんな人がこんな生活をするようになっていくんじゃないか、こんな人間が必要なんじゃないか、こんな人間は今までにいなかったんじゃないか。そんな提案を常に行なっていく。
デザイナーは主に衣服というメディアの上でクリエイティビティを発揮するので、衣服の造形力を競ってはいるが、それが人間像として表現される時にファッションらしさを帯びていく。

なぜコレクションなのか

ファッションデザインを手法として概念化し、再現可能な手続きとして敷衍させるための第一歩として、まずはファッションデザインは何をしているのか人間像を軸にツラツラと記述してきた。
そしてファッションの表現手法は、「パリコレ」のイメージにあるように、"コレクション"である。
人間像を表現するためのファッションデザインはなぜコレクションという手段を使っているのか。

次回はこの問いについて考えていく。


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