20211129_R3
最近は忙しいですね。
いくつかのタスクを同時にこなしているのですが、バイオリズムがそんなタイミングなのでしょう。
仕事関連ブログとホームページを除き、それなりに力を注いだプライベートブログは今回4つめですが、一貫したテーマの一つとして、「合理的であることと不合理であることの統合」のようなものがありました。
日々の生活の中で、相反するものを同様に取り込んで新たな方向性を見出すかのような産みの苦しみのフラストレーションが自分を動かす原動力なのだと、ふと気が抜けたタイミングで思い知ります。
自分の立ち位置からよく遭遇するのケースの一つが、世代間ギャップの穴埋めですね。
旧世代と新たな流れを作る世代の中間が我々世代で、理想的なのはその新旧の橋渡しなのでしょうが、如何せん、時代背景的に総体としてみると力を持てない、力を出せない、少し遠慮がちで底力を養うことができなかった世代だと感じているので、前後の世代に吞まれてしまっていると感じます。
我々が世代間ギャップの谷にいるために引継ぎは困難を伴うもので、各々が背負う時代背景から結果的に、相反する価値観が同時に許容される。もしくは、真ん中世代の我々が薄いから新旧のギャップが目立つという混沌とした世情なのだと理解しています。
新たな流れは混沌から生まれると、それは理解しているつもりではありますが、その実践となると、どれほどのキャパでどれほどの処理能力が必要なのか……そのようなことを真剣に考えても然程意味がないので、結局は手が届く範囲でできることをやるのみですね。
先日、ふとした思いつきで、久々に親身に人の世話をすることになったのですが、そういったことが、変に身構えることなく、押しつけがましもなく、各々が自然に無理のないかたちで進み始めたことは、自分自身が変わったのだという実感になりました。
徒然と、時間が空いたので近況を記す。
※写真は通勤途中で一服した景色