岡ぴよ
2024年以降の徒然
単車・自然・渓流魚・花・お茶のひととき・日常風景のワンカットなど
2023年秋、方向性を修正しました。それ以前の文章です。(ショートショートより更に短い小説&エッセイ風日常風景です。心とか魂とか神さまとか、なんとなく感じるけれども誰もが持っている確かな部分と、誰かがつくったルールと世界の中で何故か生きているという不確かな現実との関係を紐解くきっかけになるような、そんな文章を書きたい。)
日記です。
熊野紀行その1 ~経緯~|岡ぴよ (note.com) 行程 出発は午前4時 今回の旅は2泊3日で初日にまずは奈良、十津川村の玉置神社。 そのまま和歌山へ抜けて熊野本宮と大斎原(おおゆのはら)へ。 その日のうちに新宮まで南下して1泊。 翌日に、熊野速玉大社、神倉神社、そしてメインの熊野那智大社と飛瀧神社(ひろうじんじゃ)へ。 のち海岸沿いを北上し、和歌山市内まで戻って2泊目。 最終日は大阪最南端、みさき道の駅で旅の最期を満喫して帰路へ。 まずは十津川村の玉置神社
さて、何処へでも行ける新しい相棒のRallyを迎えるにあたり、その可能性にこれまで封印していた想いが蘇ってきた。 Rallyな記憶への回帰だろうか|岡ぴよ (note.com) 「いつか行きたかった熊野詣は今しかない!」 はじめはRallyに乗って一人で行こうと考えた。 が、結果的に車での家族旅行に変更。 伊勢参りの方は過去に二度。 ちなみに二回目は平成26年の遷宮直後、平成天皇のご参拝と重なった。 それはそれで意味があったのだと思う。 熊野詣は行者の道。 子どもたちが
温めていたヴィジョンとは違う方向へ舵を切り、その正当性を目の当たりにさせられる日日である。 きっかけはやはりPくんで、ありがたいとしか言いようがない。 小学2年生までの私は、とても泣き虫で、極度の恥ずかしがり屋。 子どもたちにそのことを話しても信じてくれない。 自分で言うのもナンだが、優しすぎるくらいだった。 のち、優位性がモノを言う弱肉強食の時代で生きるため、いつしか心を置き去りにしてしまっていた。 Pくんのほかにも、ふたりのKさんや亡くした遼と同じく、命を削ってくれた
次男にSRを譲った。 これまで何度もあったことなのだが……自分が想像していた道、辿ってきた道は、概ね誰かの道だった。 昨年11月、面倒がっていたそのくせ免許をとるなり、 「バイクが欲しい!」と言い出した次男。 物心つくころにはすでに父親が単車に跨る姿があり、その後ろに乗せられ、ふくらはぎをカブのマフラーで火傷したこともある。 二十歳になるまでその予兆はまるでなかった。 まずはCT125で公道デビュー。のち、 「バイトして返すから、中古のエストレヤ買ってくれ! 本当はSR
4年ぶりに日帰り温泉に行ってきました。 コロナ禍以前――23で結婚して以降は、単車で自動車で定期的に通っていた。――それが4年間も途切れていたのは、やはり世も末。 新たなnoteマガジンとして、「すみなすものは心なりけり」と。 仰せの如く心がけ次第で人生とはどのようにもなり得るのでしょう。 アメブロからnoteへ移行したきっかけとして、仕事の変化を挙げたのですが、あれから2年が過ぎた秋。 当初の想定とは違った方向へ舵を切りました。 はたちのころから頭の中に響いていた、「
「逆襲のシャア」の劇場版を初めて見たのが高校生のころだったと思う。 たまたまテレビで放映されていたのを録画して、何度も観返した。 学生の頃は一人暮らしの部屋にテレビを置いていなかったので、以降観ることがなくなってビデオテープは処分した。 今年の正月、たまたま放映されていたのを懐かしく思って録画し、月に数回ペースでもう一度観返していた。 それほどガンダムシリーズに思い入れはなく、でも、この逆襲のシャアだけはずっと心に残っていた。 何故だろう? と思ったときに浮かんだのは、
数字に意味があるのは周知のとおりで。 いつもお世話になっている占星術の方がいるのですが、生年月日と生まれた時間から星の並びで観てくださる。 「当たる」とかじゃなくて、基本的に統計に基づく学問だと認識しています。結果的によく「当たり」ます。 なので前回エントリーで、サインとして現れた数字から状況を読み解く行為というものは、実に理にかなっていると思います。 今回書きたいのは、つながりたいと思えばつながる。 そのように願うこと。祈ること。信じること。 先日「サインを!」と願っ
回転数を上げた後クラッチを切ってシフトアップし、そのままエンジンが吹け上がる余韻を残しながらもう一度クラッチをつなぐ。 その柔らかな息吹が心地よくてSRを走らせる。 400cc単気筒の馬力で不足を感じるのは高速道路と長い上り坂だけで、あとはすべてを満たしてくれる。 最近のネット情報によれば、ABS化に対応できなくてSRが製造中止となった以降はホンダのGB350だとか、海外の中型単気筒が人気らしい。 GB350に乗ったことはないが、ホンダらしいスムーズな吹け上がりと回転数でト
合理的なグローバル化とは、自浄作用がうまく機能しないシーンで浄化の意味もあると思っています。 最近進めているプロジェクトに際して、自身の気持ちとか、原点の部分を振り返ることが多いです。 好ましいと思われる価値観や評価の是非に納得していない人は多いと思いますが、だからと言って自分の心や魂までを売りたくなかったとしか言えないのかな。もしくは美学とか哲学とか、あえて言葉にすればそういうことだろうと思います。 社会の中で、自分がやりたいことを説明するために心だとか魂だとか、もしく
渓流ルアー釣りも、今年で3年目になりました。 初めの年は、ワンシーズンに26回の釣行。 昨年は13回。 今年はまともに釣りをしたのはまだ3回です。 ただ、CT125で新規開拓の調査に3度行きました。これは魚がいるかどうかだけの釣行だったので、ほぼ移動のみです。 初年度は、お金を払って遊漁券を購入しているから、もったいないと思って可能な限り、無理をしつつ行っていました。 しかし、日本の鱒事情と言いますか、ダムがつくられていたり、高度成長期の環境破壊や、外来種の繁殖だとかで、保
どこもかしこもカオスですよね。 確かに世も末だな~と思います。 前回エントリーで愛ゆえの胸の痛みの話を書きましたが、これって本当に大事なことだということが腑に落ちました。 昔から人に対して関心を持てない自分がおり、マザーテレサの言葉の如く、自分は愛のない人間なのだと感じていました。 人生のほとんどの期間をそのように感じていたわけですが、昨日ふと、自分にとって関心が持てない人とは、胸の痛みから目をそらしている人だと気づきました。 痛みを避けると、内省ができないと同じ事だとも
生活も落ち着き始め、ながいこと胸の内でくすぶり続けていた想いに何かしらの方向性が固まり始めた気がする今日この頃です。 最近感じているのは、「胸の痛み」とはちゃんと自分自身と向き合うことができているということ。 高校生のころ、社会に出ることで、痛みを感じることができる内面の「柔らかさ」を失ってしまう予感がたまらなく嫌で、卒業後すぐは社会的であることを拒否しました。 その後、心が鈍く、閉ざされていくことを自覚しながらも紆余曲折を経、社会人となり、結婚し、長男である遼が産まれた