そんな悠久の時間に触れたくてイワナに逢いに行く
「新しいバイク?」
「ああ、釣り用ですよ」
「釣り?」
「アマゴとか、イワナとか」
「イワナ? 釣れるの? アレは化石みたいなもんでしょ?」
職場での会話である。渓流釣り用に新調したホンダCT125は通勤でも使用しているので、上司が尋ねてきたのだ。
今の家に越してからは車を1台に整理し、通勤はもっぱらオートバイである。SR400をそのために使っていたのだが、いよいよ自分の人生のために渓流釣りに手を出すと決め、その足としてCT125を追加したのだ。
CT125はその軽さ故に取り回しが非常にラクだ。購入の際に悩んだセローのような走破性に及びはしないが、ある程度ラフな道でもスピードを落とせば十分越えて行けるし、登坂能力も必要十分である。大きな荷台には渓流ルアーを楽しむための道具を詰めた大きな鞄を括りつけられるし、選択に間違いはなかった。
水の流れしか聞こえない。その隙間に鳥の声。
イワナが居そうなポイントにルアーを投げ入れて彼らとの駆け引きを楽しむ。
フェルト製の靴底で澄んだ流れを登っていけば、全く手つかずの自然が心身を癒やしてくれるのだ。
アマゴ狙いで始めた渓流釣りだが、釣れるのはイワナばかり。自分が求めていたのは誰もいない渓流で魚と戯れることであって、結果的にその相手をしてくれるのはイワナ。ヤマメやアマゴよりも源流近くに棲み着いているのがイワナであったということだ。
日本のイワナは、オショロコマを除けば4つの亜種に分類され、どうやらこの辺りのイワナはゴギかニッコウイワナようだ。ゴギは頭にまで白い斑点があるらしく、毎度釣れた魚をまじまじと観察するのだが大体はゴギのようで、しかし、時々は頭の斑点がないものもありニッコウイワナなのかと悩むのだが、そのようなことは曖昧にしておいた方が夢も浪漫も膨らむ。
彼らの一匹一匹が顔付きもそれぞれで、サケ科の魚がそうであるように年数を経るほどに鱒らしい顔に近づくのだが、イワナとしての顔を保ったまま歳を経たであろう個体の目は何とも愛らしく見える。黒目が大きくて潤んでいるかのように慈愛に満ちているのだ。
その顔つきは魚類を代表しているのではなく、両生類にも似ている。そして相手をしてくれたイワナたちは、例外なく爬虫類のようにニョロニョロと身体をくねらせながら水中へと還って行くのだ。
本当にピュアな環境で喧騒や文明の汚染に触れることなく、化石時代から繋いできた生命たちに触れると、その気の遠くなるような時空を経て辿り着いた今に、言葉にはできない感動がある。
そんな彼らに逢いたくて、僕はまた山を目指すのだ。