分岐点からの眺めと思い
「逆襲のシャア」の劇場版を初めて見たのが高校生のころだったと思う。
たまたまテレビで放映されていたのを録画して、何度も観返した。
学生の頃は一人暮らしの部屋にテレビを置いていなかったので、以降観ることがなくなってビデオテープは処分した。
今年の正月、たまたま放映されていたのを懐かしく思って録画し、月に数回ペースでもう一度観返していた。
それほどガンダムシリーズに思い入れはなく、でも、この逆襲のシャアだけはずっと心に残っていた。
何故だろう? と思ったときに浮かんだのは、ある時点までの時間軸の方向性は、まるでガンダムの世界観に近いものがあったのだろうなと。人口増加と共に、人類が普通に宇宙へ移住する世界。
なので、未だ多くの人がシャアの信念と妙な既視感に惹かれるのだというのが持論。
自分自身が医療の世界に身を置いていて思うのは、科学のブレイクスルーが起こらないまま、世界は次世代へ向かっているのだなということ。
診断の主力は、今も血液検査や画像検査で、SF映画のようなナントカ線による全身スキャンで健康状態を調べることができない。
科学のブレイクスルーと宇宙への進出はまだまだ先の話で、それよりも何よりも、人類が目を向けるべきなのは、各々の内面なのだということなのだろうと思う。
今、自分自身が分岐点に立っていて、シャアの気持ちは理解できるけれども、だからこそ世界にはアムロが必要だったのだとも思う。
※写真は本日のデイキャンプ。先日の「サイン」の「正しさ」を確認するためにインスピを求めて自然の中に身を置いたのですが、自分自身は雨に浄化され、肝心の確認は妻へのサインとして現れました。ということでこの数日間は久々に濃い空気とエネルギーを呼吸しました。そしてサインもその由来によっていかようにも受け取れるものなのだということをひしひしと感じました。