アメリカで精神病棟に入院した話

主治医の先生が自分の経験を文章にすることがある種のセラピーになると言ってきたので、noteに記そうと思う。自筆で自分のノートにでも、と思ったけど今は文字を書くことができないし、せっかくならいつでも見返すことができる媒体に書き留めたかった。

今年の夏の終わり、死にたい気持ちが毎日あった。何をしていても自殺の文字が頭にあって、その度悲しさからぼろぼろ泣いた。

夜は毎日家の周りを徘徊し近くの山へ首吊ができそうな場所を探し歩いていた。首を吊れる場所を見つけると気持ちが少し楽になった。

自殺を決意してからは早かった。


まずは渡米した。恋人がアメリカにいるから。9月初めだった。

ただただ恋人に会いたかった。会ってから死のうと思った。でも今考えれば、会うことによって少しでも希望を貰いたかったのかも。

とりあえず、死ぬ前になんとか恋人に会おうとこのご時世不謹慎極まりないけど航空券を取った。仕事にメールを入れ欠勤、翌日にはアメリカへ経った。家族には何も言わなかった。ただただ、死ぬ前に恋人に会いたかった。

よくさ、死ぬときは周りの人の迷惑も考えろだなんて説教を死人にする人がいるけれど、自殺まで追い込まれた人は目の前の死しか見ていない。そんな余裕ないと思うの。

とにかく恋人は引っ越したばかりで、とても多忙な時期だった。まだ学生だし。
前日から猛反対されていたけれど、無理を言って彼のアパートに泊まった。疲労と安心感からその日はとてもよく眠れたのを覚えてる。
でも翌日、恋人の両親がサプライズでアパートへ訪れてきて、私を見た彼らは発狂した。なんでいるの親には伝えてあるの今の状況が分かってるの自己満足のために他人を危険に晒すな…彼らが私に放った言葉、表情、声調全て完璧に、鮮明に覚えている。怖かったなあ。殺されると思ったし、なんならそうなら良いのにとも思った。

そんなこんなで恋人の家にはいられなくなり、他州の友人宅へしばらく滞在することになった。自傷行為は続いたけれど割と安定した時間を過ごしたと思う。

大好きな友達のお店で働いたり、友達家族と食事をしたり、誕生日を祝ってもらったり。日本から、家族から離れ気持がとても楽だったのだと思う。

しばらくしてから、三日間だけ恋人のアパートへ戻った。帰国前の三日間だった。

そして、出国前日。アパートのバスルームでかなり深く、自分の腕を切った。

恋人とルームメイトの3人で料理をしている最中、帰国してからのことを考えると会話の内容が頭に入ってこず彼らが何に対して笑い、何を私に質問しているか一切分からなくなった。あと数時間したら自分は死ぬんだ死んでやるんだだから今を楽しまなくちゃ…なんて考えていた。

けれど、足元に大きな穴が急に表れて吸い込まれていく感覚に陥り、トイレに走りこんだ。とにかく誰かに叫び散らかしたくて、他州の友人に泣きながらを電話した。そしてアームカット。バスルームはホラー映画さながら血まみれになった。

過呼吸になった私は立つことも出来ず、ただただ狂ったように泣いていた。恋人がドアをこじ開け嫌々言う私を病院へ連れて行った。その後、バスルームを掃除してくれたルームメイトには感謝しかない。

病院へ着き恋人が私の状況を説明するとすぐに別室に隔離された。自殺願望者が来院した場合、適切な治療と完治の見込みがない限りはいかなる場合も病院の外へは出られないらしい。外国人の私も例外ではなく、どうやら州法で決まっているそう。すごい法律だよね。

そのため恋人はそこで別れ、私はそのままERに搬送される。とにかく私はぼろぼろとアホみたいにずっと泣いていて、あのタイミングでアームカットなんてするんじゃなかったと後悔ばかりしていた。

ERは薄暗く、多数の患者で溢れかえり、看護師やスタッフは常に忙しく声をかける暇もなかった。患者は様々で常に誰かが発狂し、怒鳴りつける人、大きな声で神に祈りをささげる人、完全に衰弱しきった人、叫び笑い続ける人、本当に様々だった。そして大きな機械音が常に鳴っていた。ビーーービーーービーーという音。そこに2日間放置された。

私は祖母が亡くなったことが原因で病院へ来ること自体もともと好きではなかったので、不安が募りに募って本当に狂いそうになった。

持っていたものは全て没収されてしまったし、頼るものが何もなく、とにかく怖かった。何もない中、ストレッチャーに寝かされて。阿鼻叫喚の最中に放置されて。自分のせいなんだけど。


誰かが泣こうと叫ぼうとスタッフは基本的には無視。私の腕の傷は1日放置されたまま血はべったりと腕に張り付きカピカピに渇いていた。左上は薄茶に混じった赤色に染まっていた。

トイレに行くというと誰かスタッフが必ずついてくる。
トイレのドアは半開きをキープしなければならなかったが、トイレの中で聞いている病院服で首でも吊ってやろうかと何度も思った。

それでも、腕をきれいにしてくれたERお姉さんは、とても優しかった。「どうしたの?ここ(私の心臓を指しながら)が泣いてるよ。誰にも言えなかったの?」と落ち着いた声音で、それを聞いてまた泣き出してしまった。it's ok baby, everything will be fine, ok?と言い続けてくれた。ありがとうお姉さん。

そしてストレッチャーの上に2日放置されたのち、精神科のチームの人たちが私の元に話をしに来た。人間不信になっていた私は、ふてぶてしい態度をとりながらも(最悪)自分の状況を説明。

そして、その夜、別館の精神病棟へ移された。精神病棟と聞いて覚悟していたけれど、閉鎖されているにもかかわらず造りは家のようだった。てっきり映画や小説でよくみる鬱蒼とした閉鎖空間課と思ったけれど、病棟というよりもグループーホームのような感覚に近い造りだった。

私の荷物と私の体調をスタッフ3人ほどがチェック。そして担当の看護師さんが部屋を案内してくれた。暖かいシャワーを浴びてね、何も食べてないでしょう何が食べたい?大したものは作れないけどサンドイッチとか口に入るもの、もってくる?とバスタオルと病院服を手渡してくれた。

卵サンドと紅茶を頼んだ。2日ぶりに食べ物を口にした。とてもおいしかった。おいしいです、ありがとうと看護師さんに伝えると、卵サンドのプロだからね!と笑ってくれた。その笑顔になんとなくほっとした。

その日はメラトニンを貰って眠りについた。

結果として合計、2週間半そこへ入院することになったけど、今日はここまで。