あの娘とおなじ目ん玉になりたい
久々にドンキホーテに行った。
溢れかえらんばかりの商品。商品。商品。
店に入った瞬間から挑まれている感じがする。
さぁ、テメーの欲しいものを探せ!!コスメでも充電器でも菓子でもコスプレでもなんでもあるぜ!!買え!!と。
サンリオグッズとアダルトグッズがのれん一枚へだてて同じ場所で息をしている。この緩急がドンキホーテをドンキホーテたらしめる重要な点であると再認識する。
カラコン売り場に行く。
ツラの良い女の顔が、実寸の2倍くらいの大きさに引き伸ばされていくつも貼られている。
ゲームセンターのプリクラコーナーを思い出す。でろでろの布に印刷された大きな顔。ヤンチャっ子に爪で引っ掻かれて鼻毛が生えてしまっているあの顔。プリクラといえば、小学生のころ、撮影後のラクガキで自らの目を塗りつぶし、暗闇のネコの写真みたいにした。せっかくのデカ目はネオン色のデカい点になった。
そういえばいまの子はラクガキをしないらしい。ラクガキのないプリクラがSNSの承認欲求の道具として使われていて哀しい。プリクラは、いつまでも友情の証明写真であってくれ。
話が逸れてしまった。
カラコンの商品紹介ポスターに起用されている女の子は、モデルやアイドルが多い。【〇〇ちゃんプロデュース】だとか、【〇〇ちゃん着用!】だとか書いてある。それを見てハッとした。
少女の人類たちは、これまでもずっと、憧れの女の子になりたがってきた。聖子ちゃんカットが流行り、安室ちゃんコーデが流行り、オルチャンメイクが流行り…。
カラコンという発明。
それはついに眼球すらもまねることを可能にした。
そして、
「あの娘と同じ目ん玉になりたい」
そのような感情を抱いて買っていく少女を生み出した。しかし当の少女は、自らのなかにそんな猟奇的な感情があるとは知らない。
混沌の隅で、私は打ちひしがれた。
なりたい欲求とそれに対する提供は、今後、一体どこまで進んでいくのだろう。(整形も同じことかもしれないが、ちょっと話が違う気がするのでそこはさておくことにする)
アイデンティティの小さな消失。
これからも観察していきたい。