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29. 余暇

 「余暇」という言葉は好かない。労働や勉学が人生の本チャンだなんて誰が決めた?好きなことをして好きに遊んでいる時が人生のサビになる、という人の方が多いと思うけど。仕事が好きな人や、好きなことを仕事にしている人は大いに結構。私はそういうタイプの人間ではないため、少ない休日にはりきって遊ぶ。休日は寝て終わるだなんて、社会と労働に「してやられた」感があって絶対に許せない。
 もともと、休暇や社会保障の類いは1920年代のフォーディズムによる。労働生産性を上げるために、仕事に集中できるように奴らがしっかり有意義に休めているか、どれ、見てやろうとフォードはこっそり見張りまでつけたという。現代っ子の私は憤慨した。仕事のために生きてるんじゃない。食いっぱぐれたくないだけである。意識が低い?何とでも言え。勤務時間は誰よりも真剣にやっているつもりである。

 そんなわけで22時まで働いた後鬼の形相で荷物を詰め、翌日の朝から羽田に駆けつけ、昼過ぎには八丈島の海岸を自転車で奔走していた。ファッキン勤労社会、見よ、これが活きの良い社会人である。息抜きして仕事に集中するだなんてごめんである。
 大きな植物園を歩き回り、景勝地まで海沿いをひた走り、早々に寝る。植物公園というより、大きな森のようだった。草いきれどころではない匂いがして、肌がしっとりしてしまった。カカオやパイナップル、マンゴー、見たこともない熱帯のフルーツ。食べられるものしか覚えられない。カメラを持ってにじり寄ると、飼われているキョンが全員一斉にこちらを見た。クラス会で失言してしまったような気分になる。そんな目で見るなよ。
 翌朝は日の出を見てから、八丈富士めがけてまたひたすらに自転車を漕ぐ。早朝なのに汗だくになって頂上に着いてみると、とんでもなく風が吹き荒れている。お鉢巡りどころではない。人っ子一人いないので絶景には違いないが、火口というか、地獄が口を開けているように思えた。踏み外したらひとたまりもない。唐揚げ弁当が最後の晩餐にならないうちに神社を巡り、這々の体で下山した。唐揚げを一つ火口に落とした。ごめんなさい。濃霧の中、山の中腹にある牧場では牛さんたちが不安げに鳴き交わしていた。オスの牛は幼いうちに出荷されていくため、農場にはオスの成牛がいないと聞いて切なくなった。ドナドナ。その後は樫立温泉に浸かり、お爺さんお婆さんのお喋りにのまれ、島寿司を食べ、毎日のしょうもなエッセイを書く。旅先でもnoteを書いているのがやや気色悪いが、読んでくれる人がいるのはありがたい。
 最終日は大きな廃ホテルを二つ探索した。分かる人にはすぐ分かるだろうから、具体的な名前や場所は書かない。道沿いに見えてくるあいつらである。始終パクられないかと気が気でなかったが、何も壊さず何も持ち出していないので許していただきたい。バブルの残骸は、自然と溶け合って美しかった。恐るべし塩害。20年足らずで海側の部屋だけ風化が異常に早い。豪華絢爛なホテルの内装は皮肉な様相を呈していた。目立たないところにひっそりと小さな白いサンゴが置いてあり、静謐がその一角に凝縮されたようだった。羨ましくなるような美意識を持った先客がいたようである。
 廃墟をみると、いつもぼんやり鯨骨生物群集を思い浮かべる。海の底に沈んだ鯨の大きな骨。腐肉と骨格を拠り所にしていろんな生物が集まり、小さな生態系が出来上がる。そしてそれも緩やかに滅んでいく。大いに感動したものの、汗だくかつ、虫まみれ草まみれである。時間と体力はあるので八丈富士をそのまま一周し、北側の景勝地を巡った。だだっ広い水平線を小さな東屋が分断し、その中では大抵お年寄りがスヤスヤと眠っていた。景勝地の「落ちたら死ぬ率」が異様に高かった。体裁を整え、空港に駆け込み、あわあわとお土産を買って羽田に戻った。

 行きたいスポットを制覇し、食べたいものも概ね食べた。持参した本やnote以外のSNSはほとんど開かず、音楽も全く聴かなかったくらいに、満足度が高かった。人間が少なく、自然が豊かであればまず満足である。一度の一人旅で、およそ1ヶ月分の沈黙を使い果たしてしまったが。存分に羽を伸ばした感想としてはただ一つ、死ぬほど働きたくないが遊ぶ金は必要ということである。

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