128. ライフチャートが書けない
リファレンスチェックと同じくらい、あるいはそれ以上に苦手なものがある。ライフチャートだ。
就職/転職活動をある程度やってきた人なら皆さんご存知の、あの乱高下させた方がお得なやつである。富士急のコースターみたいなチャートを送られたら、私が人事担当でもとりあえず話は聞いてみたくなる。この線が跳ねた理由は?何があったんです?
現職でも自分の仕事の指針を決めたり、経営者育成研修の手伝いをするたびにこの厄介な曲線にぶち当たる。すごい企業のすごい人たちが過去に書いたものをちらちら覗く(もちろん自分が案件にアサインされているため、コンプライアンス的には問題ない)。当たり前にすごいことばかり書いてある。
これ本当に書けない。モチベーションはさほど乱高下しない質であるが、沈む時の理由がアレなやつしかない。受験失敗や友達が3年間できなかったことはまあいい。笑い話になるから。病気、家庭内暴力、親の支配、不倫、失業、エグい失恋、再び病気、入院、手術、再び不倫、警察沙汰、暴力…のループである。これでモチベーションが落ちないとしたら、たぶんもっと激しめの会社にいたかもしれない。こんなのは会社の皆さんには話せないし、本当に話したくない。
「こういう研修してライフチャートを書いてもらうと、たまに重い話する人もいるからね…」
と苦笑いする上司を見て、さらに困り果てた。
私はこれまでの苦労をアイデンティティにしている。
この事実を自分で認めるまでにかなり苦しんだ。この人たちは金の心配をせず良い教育を受け、手を上げられることもなく自分の食い扶持だけ考えてここまでやってきたからモチベーションを保てるんだと。言い聞かせないと平常心が保てなかった。
人生の曲がりくねった針金から、人に話せないことを削ぎ落としたら、何もなくなった。
怒鳴られたくないから、「恥」をかかせたくないから、金の心配をしたくないから、それなりに努力してきたつもりだった。私の意志はない。努力って何。モチベーションが上昇する起点となるものが一つもなかった。
「みんなで騙してくる。数年経っても立ち直れやしない」
電話口で、母が激昂する。私に話しながら、私の知らない、もしかすると母の頭の中にいるかもしれない人々に対して。分かる。大事に思っていた人だけでなく、その友人たちからも複数人がかりで嘘をつかれることの苦しみ。同じ経験をしたから分かるけど、許せない。母は私の味方にはならなかったし、私も変わらず母に嘘をつき続ける。数年経っても立ち直れやしない。
家を出る少し前に、父親に「もう母を殴らないと約束して」と言ったら、「約束できない」と返されたこともある。変な時だけ正直すぎるだろ。数年経っても心がざわつく。
優れた作品は、こんなに深く傷ついたんだ、と訴えるのではなく、こんな風に乗り越えたんだ、と教えてくれるものらしい。
『夜と霧』があんなにも読み継がれてきた理由が少しだけ分かる。ガス室の壁の爪痕に、大量の靴に、私たちを沈めてきたものは到底及ばず、比べるものですらない。
ライフチャートよりも浅い自己紹介をすると、若い人も年配の人もありがたいことにほとんどがまず真っ先に名前を褒めてくれる。本当に良い名前だね、と。人によってはペンネームみたいだね、と。
これ、ペンネームです、とはにかむ。帰化した時に両親からもらった名前を取っ払って、自分で一から決めている。字面の美しさと年老いてからも馴染む落ち着き、書きやすさ読みやすさを考慮した名前。そして性にとらわれない名前。あさひとかつばさとか、かおるとか、そのあたり。語感が良いでしょう、それだけで決めたもの、と笑って答える。
本当はきちんと祈りを込めている。元の名前には本当に特に祈りはなかったらしいので、これはセルフサービス式の祈りです。母国語で、この先少しずつ良くなっていくという意味。
流れていく景色に忍者を走らせる空想の他に、もう一つ好きな空想があった。数年前の自分が記憶を失くして今の「容れ物」に入ること。
きっと目をみはることだろう。そうであってほしい。何もかもが順調ではないにしろ、格段に息はしやすく、先のことが考えられる。ほらあの時より鮮やかでしょう。
この曲線が鑑賞に堪えるものになるよう、ペンネームに恥じないよう、まっすぐ伸びた横軸の上をさまよう。少しずつ良くなっていく。良くしていく。上司と数年先の自分へ、説明責任を果していきたい。