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幽霊・研究センター・1993年


札幌の幽霊

「東京の墓って見たことありますか」
「電車から見たことありますね」私は言う。「でもまあ、墓場はどこも一緒じゃないですかね」
「いや、でもやっぱ、ロケーションの本物感が違いますよね」幽霊の男は言う。「歴史があるっていうか。あと俺、奈良とか京都とか、西の方も行ったんですけど、あそこもやっぱ、かなり前から住んでる幽霊がいてさあ、なんか俺の場所はないんだよね。やっぱ古墳とか見ちゃうと、なんだかなって、俺何やってんだろ、って思っちゃうんですよね」

ここにあなた以外の幽霊はいないの、と私が尋ねると、「幽霊って難しいんですよ」と男は言う。

「あまりにもきれいに馴染んでしまうと、消えてしまうんです。俺の同期は、みんな消えちゃった。ここはさあ、良いとこでしょ。広くて、あまり人がいなくて。幽霊ってただでさえ、土とか水とかと馴染みやすいから、最初は幽霊として楽しくやってたみんなも、だんだん土とか水とかにそっくりになっちゃって、消えてしまうんですよ。消える、というか、わからなくなっちゃうのかな。木陰に合わせて揺れたり笑ったりしているそいつを見ているうちに、だんだんわからなくなっちゃうんだ。そいつがわかって欲しいって思ってないからなんだろうな」

次に幽霊の男に会ったのは、その一年後くらいの、駅の近くのインターネットカフェだった。以前より変にくっきりしているように見えた。男は貝塚について調べていた。

古いものについて調べているんですね、と私が言うと、「というより、物質についてですね」と男は言った。

「人のことを考えなくなってから、俺はやっぱり少しずつ、影とか風とかに馴染んできてしまったみたい。でもなぜか最近、ほら、体がしっかりしてきたんですよね。不思議だ」

俺は、大きなものに抱かれるんです、と言ってちらちらと笑った。笑うと時折、顔が消えた。


幌延深地層研究センター

日本中から幌延深地層研究センターへとやってきた私たちは、金網でできた筒状のエレベーターにぎゅうぎゅうに乗りこんで、地下500メートルの通路へと降りる。通路は建設途中のトンネルのような形様で、「8」の字に曲がりくねっている。先頭を歩く原子力研究開発機構の鈴木さんは後ろ向きに私たちを見ながら、小さな手持ちのマイクを通して何かを話すが、マイクのせいなのか、彼が首からかけているそのスピーカーのせいなのか、音がひどく割れていて何を言っているのかは全然わからない。清水建設と書いてある名札をつけた男性が、後ろからついて来る。

壁にはおそらく送電のためのケーブルが延々這っている。ケーブルを保護するカバーにはバーコードのシールがついたままで、「ライトカバー(チョッカン) 20A*1000mm」と書いてある。黒いゴム被覆の別のケーブルには、「EM CEE/F <PE>E JET FUJIKURA・DIA TAINEN 2019 JIS JE0307033 1/25mm2」と白く印字されている。黒いケーブルは何本もあり、たまに結束バンドで止められている。


1993年11月末

2024年に30回目の誕生日を迎えて思うのは、1993年の11月の終わり頃にあったであろう、ある一回の性交のことだ。それは肉親の性的な行為としてではなく、今の自分の生活の変種として想像される。あるいは、神的な視点から想像される。Google Earthで札幌市厚別区にある団地の一室を拡大していって、窓越しにそれを見ている。それは、女の前の生理が終わってから2回か3回目くらいの、避妊をしない性交で、曇りの日曜の午後早くにリビングのソファで行われた。食卓には昼食に食べたパンのくずが少し残っている。隣の部屋では、1991年に生まれた長女が眠っている。彼女の昼寝の折に始まった。あるいは、金曜の夜、男が入社6年目の会社から帰宅したあとに寝室で行われた。あるいは、長女を連れた家族旅行で泊まった温泉旅館の一室で行われた。いずれにせよそれは、今から30年と10ヶ月くらい前に、南西沖地震や米騒動やドーハの悲劇や10月政変などに続いて、どこかで起こったはずだった。

独身で子を持たず会社に属していない私には、二人の生活の像は曖昧にしか結べず、代わりに十数分くらいで行われたであろう一回の性行為だけが、何パターンか具体的に浮かぶ。女の膣内に男が射精して、二人は数分かけてぼんやりと息を整える。私を始めることになったその行為について考えているはずなのに、いつの間にか自分の記憶のいくつかと混線する。でも女と違って、私は妊娠をしない。ファボワール28を飲んでいる。あるいはフリウェルLDを飲んでいる。だから想像はそこで終わる。1994年の9月に、私が生まれてくることはない。


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oka
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