本当に大切なもの。
今日は、地域の運動会に参加させていただきました。
出場した種目は、渦巻きリレーという、棒を4人でかついでぐるぐる回るリレーと、
「あ~らよっと」という名前の、玉投げリレーでした。
4月に移住してきたばかりで、同年代の知り合いもおらず、
町内会の広報誌配りや神社掃除などで会うご近所さんとは年代の違う方たちが参加されておりましたが、
慣れないながらも優しく迎え入れていただき、無事、競技を終えることができました!
普段は会うことのない20代の方々もおられ、地元の同窓会のような雰囲気で楽しんでおられました。
20代の女の子たち。正直、全然なじめず、何を話していいのやら。
(普段、同年代の方と接する機会も少ないですし、自分がいままで接してきた同年代の子と全然雰囲気も違うので、、)
と思っていたのですが、
打ち上げのとき、その20代の子が、地域の赤ちゃんをあやしたり、
私がビールをこぼしてしまったとき、真っ先にタオルを持ってきて拭いてくれたのでした。
ものすごく気配りができて優しい子だなあ、と温かい気持ちになりました。
と、同時に、
自分は都会育ちで、地元に帰って幼馴染とわちゃわちゃすることなんてないし、
どちらかというと、そういう人間的な優しさや温かみよりも、
勉強や研究の成果を求めてきたけれど、
本当に豊かなのはどちらなのだろうか、と。
地元に帰ったら幼馴染がいて、わいわいして、
みんなで地域の子どもをかわいがって、地域の大人にかわいがられて、
恋愛して結婚して、子どもを産んで。
そんな、当たり前のような普通な人生が、
資本主義社会で競争や成果に追い立てられるうちに、どんどん失われてきているのだろうな、と。
失わなくていい、そのままでいい純粋な心を、受験戦争、就職活動などで失っていく若者たち。
学歴とか、いい会社とか、そんなものより、
お金では買えない、温かい人間性と人とのつながり
それがどんなにかけがえのないもので、
一度失われたら得難いもので、
知らずに育ったらわかるのが難しいものなのか。
昔からどちらかというと人付き合いが苦手だった自分
いつのまにか「子どもらしさ」を失った自分
「自分」がわからなくなった思春期時代
でも、それらを乗り越えさせてくれたのは、多世代のつながりだったなあ、と、改めて思い出しました。