一本植えに感じる自然界の美学
令和5年6月4日
満月の日に「一本植え」をさせていただいた。
通常、稲の苗を育てる時、苗ポットに数個の種籾を入れ、発芽させる。
なので、通常の田植えで用いる苗は数本の稲が束になった状態だ。
それに対し、一本植えでは、一つの苗につき種籾を一つだけ。
さらに、栄養価の低い赤土に籾殻を入れた土を使い、
本当に「種籾の持つ力」だけを使って、発芽させる。
一つ一つの種籾の力を信じて。
通常、種子には当たりハズレがあり発芽しないものもあるのだが、
一本植えの苗は、見事な発芽率だった。
(正確に数えていないが、95%以上発芽したのではなかろうか)
一本植えの理にかなっていることは、手植えをすると一目瞭然だ。
何本か束になっている通常の苗は、少し深いところに植えると沈んでしまい、きちんと植ったか心許ない。一本一本が茎が細く弱々しい。
一本植えの苗は、茎がしっかりしていて、こちらが植えようとしなくても、ぽん、と置いてやるだけで、茎が浮の役割をして、起き上がりこぶしのように「すん」っと立つ。
ちょっとやそっとじゃ倒れない。
「こいつは大丈夫だ」
と信頼できる。
さらに、植える間隔も、通常25 cm 程度なのに対し、
今回は45 cm 間隔と、一本一本間を開けて植える。
これによって、根がしっかり伸び、しっかり土から栄養を摂れるばかりか、倒れにくく風雨にも強い。
一本植えの方がお米自体の収量も多いらしい。
稲も自律している。まるでDAOだ!(笑)
最小限の、あるものから
最大限の実りを得る。
ある生命を、余すことなくめぐらせる
一本植えから、自然界の美学を学ばせてもらった。