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「イノチをいただく」ということ

生きることは食べること。
食をとおしてイノチはめぐる

わたしたちは、膨大な情報量の中を生きている。

目の前に、牛肉があったとしよう。

その牛は、どういう環境で、日々何を食べ、どういう気持ちで、育ったのか?
その牛は、どんな人に、どんな向き合い方で、育てられたのか?
その牛は、どんな牛生を生き、どんな風に死んで、どういう過程を経て、ここに届けられたのか?

食べることは、その牛のイノチをいただくこと。
量子レベルに刻み込まれた、イノチの情報が宿っている。

最近、情報量が多い牛のお肉を食べさせてもらうことが多いからだろうか。

「自分はこの牛の背景にある情報を、消化吸収できる器をもっているだろうか?」

そんな風に考える。

全部は消化吸収できないかもしれない。
だとしても、せめて、摂取した分のイノチは精一杯生きたいと思う。

manaki の吉井孝先生に教えていただいた。
その食べ物に意識を向けて、味わい感謝しながら、その食べ物のルーツや背景に想いを馳せながら、いただくこと。
それが、最大の供養だと。

そして、自身にとって最も栄養価が高まる食べ方だろう。

だから、どんなに巷で体にいいと言われているものよりも、
自分の知っている生産者さん、好きな生産者さんに育てられた作物を食べることの方が、身体の栄養になるのだと思う。

「ものすごくこだわりのオーガニックショップで、本当にこだわりの抗生剤なども使わず育てられた豚肉を買って食べていたのだけど、
あるとき喉を通らなくなり、食べられなくなった」

という話を聞いた。どうやら、そのオーガニックショップの店主の圧が強すぎて、気が合わなくなってからだそうだ。

わたしたちは、「誰から買ったのか」という情報まで食べているのだ。

どんな無農薬野菜よりも、あのじいちゃんが作った慣行の野菜の方がおいしい

そのじいちゃんの顔が浮かび、愛おしく大切に思うからこそ、そう思うし、それが情報として食べ物に乗るからだろう。

ならば

農業もまた、「やり方」ではなく「在り方」が重要なのだ。

そして、食の質を最大限に高めるということは、
けっきょく小さくローカルなコミュニティの中で、生産・消費するということに行き着く。

manaki で意識の使い方を少しずつ訓練しているのだけれど、
意識の扱い方の精度が高まるほどに、
私たちのもつ「意識の力」が本当にパワフルなものだと実感する。

この地球上の人類みんなの意識で、この地球のセカイは構築されている。

ならば、この瞬間瞬間を、どういう意識で生きるのか。

どういう意識で人と関わるのか。

瞬間瞬間の響き合いで、この世界はできている。

未来からやってくるエネルギーを、現在という「今、この瞬間」に
どのように現実化させ、過去に流していくのか。

ものすごく膨大な情報場の中を、わたしたちは生きている。


1人1人の意識が世界を構築する。

「どんな世界に生きたいですか?」


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